読者の皆さんから、身近なテーマについてコメントを募り、山陰中央新報とSデジに掲載する「さんコメ!」。「不登校」に、たくさんの投稿をありがとうございました。紙面では紹介しきれなかった投稿と、記者の雑感を掲載していますので、お楽しみください。(かっこ内はペンネーム。内容は一部要約・編集しています)
1、不登校を批判するつもりはありません。ただ、やはり社会に出るうえでコミュニケーション能力をつけるためには学校に通ってほしいというのが個人的な考えです。昔は、皆勤賞を狙え! 不登校なんてもってのほかだという考えでしたが、今はそういう時代ではないですね。我慢するなら家で過ごせばいいという考えですもんね。親も子どもも納得したうえでの不登校ならいいのではないかなと思ってます。地域の人も根掘り葉掘り聞かずに温かく見守ってあげるといいですね。

2、そりゃあ学校に「行けない」「行きたくない」「辞めたい」先生がたくさんいる場所ですもの。行きたくない子どもたちもたくさんいて当然ですよね。そんな上司がたくさんいる会社にいたくないのは大人も同じでは?(わらびもち)
3、不登校の体験はありませんが、登校拒否は1回あります。小1のときでした。隣の席の男子にいじめられて、1日休みました。次の日、担任の先生が席替えをしてくれたので、いじめはなくなり、安心して登校しました。中1の娘は、不登校の体験はありませんが、登校拒否は1回あります。昨年でした。私が、2回目の手術を受ける直前でした。どんな気持ちだったか娘に聞いてみたら、テスト勉強を1人でするのが怖いと思ったのと、名札などを忘れたりしないか心配だったからだそうです。娘は1日休みました。その日の午前は寝て、午後は家にいたようです。そうすると、なんとかなると思うようになり、次の日から再び登校しました。このとき、担任の先生はメールで気持ちを聞いてくれたり、次の日の時間割を教えてくれたりして、助かりました。(やっこ)
4、娘は高校2年生の時、一時学校に行くのがつらくなった時がありました。その少し前から、私もうすうす感じてはいましたが、ある日突然「学校に行くのがつらい」と泣き出したので、ゆっくり娘の話しを聞きました。どうやら友人関係の悩みを抱えていたようです。戸惑いましたが「今通っている学校だけが全てではないのだから、そんなに苦しいなら休んでいいし、それでもつらければ、他の学校に行く選択肢もあるから、今はゆっくり休もう」そう言って抱きしめました。それ以降は、学校や友人の話題は極力避けて、とにかく心と体を休めるように伝えました。大人の社会でも、人が集まればさまざまなトラブルやストレスが生まれるように、子どもの社会でも起きるのです。しばらくの休養?を経て、娘は再び登校出来るようになり、友人とも和解することができたようですね。(240)
5、子どもと同じ保育園だった年上の子が不登校のようです。小さな保育園で、顔の見える関係だったので、子どもが「学校で見ない」と言っていたときはあれっと思いました。ご家族と偶然あって、不登校のことを言われ、やっぱりと思いましたが、子どもの学校では低学年の頃から不登校がちらほらいて、気になります。前述の親御さんには、またいつでも寄ってください、と伝えたものの会うことはなく、何か手助けすることができたのでは、と思ってしまいます。保育園時代の先生にも情報はなく、ご家族と会って初めて知ったらしく、こちらも本当のことが言えないもどかしさがありました。学校には、不登校の現状や見解について、学校アンケートにも書きましたが、反応はありません。(たまごぷりん)

6、半世紀以上前の生徒です。当時は学校を休むということはありえない時代でした。長期に休んでいる級友は重い病気でした。一方で親も教師も勉強を強要することはなくて本人任せというか放任でした。まだまだ貧しくて生活するのが大変で子どもにかまっていられなかったんでしょうね。(いつの間におばあさん)
7、もう50年程前の事。小学校入学直前に関西から移住。田舎の子供たちには、まだ関西弁が珍しく「お前、何を言っとるか分からんわ」などとからかわれました。そこから村八分に。そして「あいつと話すとバイ菌が移る」と、いじめられるようになりました。クラスだけでなく学年中から集中攻撃。学校へ行きたくなくて、毎朝母に訴えるも、当時は無理やりに連れて行かれるのが当たり前でした。避難出来る特別なクラスも無く、ただ同級生からのイジメに耐える事9年間。自殺を考えた事もあったけど、幸い私には寄り添ってくれる友達が居たおかげで、何とか登校出来ていました。今はイジメが陰湿になり、つらい思いをしている子供たちが多いのではないかと思います。不登校は逃げる事では無く、自分を守る事だと私は考えています。いつか心を強く持って自分らしく外へ飛び出せばよいのではないでしょうか。
8、長男が小学5年生の時に1年間不登校を経験しました。その時息子が繰り返し言っていたこと。「お母さん、僕のこと好き?」この言葉の中には、学校にも行けない、勉強も嫌い、ゲームやYouTubeばかり、お母さんの思うような子ではないけどそれでも好き? そのままの僕を認めてほしい。そういう願いが隠れていたんだろうなと思います。思えばいつからか、あれもしてほしい、これもできたら、って求めたり、人と比べたり。そんな子育てになっていました。過剰な期待は重荷にしかならない。さらに発達障がいの傾向もあるわが子は(その時には分からなかったですが)学校でもどこか居場所のなさ、家でも分かってもらえない、受け止めてもらえない、もういっぱいいっぱいだった。気づいてあげられなくて、母の願いばかり押しつけてごめんね。子どもの不登校で私の生き方を見つめなおすきっかけをもらいました。あれから3年。中学生になった息子は、相変わらず勉強も学校も好きではないようですが、彼なりに楽しみを見つけて学校へ通っています。「子どもはどの子も、ちゃんと育つ力をもっている」。大丈夫と信じて未来を楽しみに見守ってやりたいと思っています。(さくら餅)
9、学校は何のためにあるのか、誰かからいじめられるためにある? 冗談じゃない。建前はきれいごとを並べ立て、覚悟を決めて考える大人がいないから苦しいのではないですか? ずっと思っていたけど、いじめられた人が転校とかしなくてよいと思いますよ。むしろ、いじめた側が転校したらよいと思います。いじめる人のために、自分を壊さなくていい。学校に行けないならその時は休んでもいい。不登校は子どもの問題ではなく自分たち大人の問題なのでは? 職場で平気な顔していじめをしているそこの人、あなたの責任は大きい。ただただ年をとって経験者ヅラするより、たくさんの失敗をして今の自分がある事を伝えられる本気の大人にならないと、子供たちが希望をもって生きていけなくなる気がする。自死を選ぼうとするくらいなら、不登校でもいい、生きていてほしい。
10、12年前にわが子が部活をしたくて入った高校でしたが、顧問とも先輩ともうまくいかず、1年生の1学期には学校に行く意欲をなくし、2学期には休むようになりました。親として見ていられなくなり、通信制の転校先を見つけて、子どもに勧めてみました。子どもは行きたい専門学校があり、そのために高卒資格だけは欲しかったので、頑張って3年間で卒業し、その合間にはアルバイトに励み、有意義な3年間を過ごしたと思います。今、私の英断に感謝してくれています。「こういう道もありますよ」と悩んでいる人に伝えたいです。(Em)

11、コロナ禍でもあり不登校の生後さんが増えるのは当然だと思います。また、小、中、高のクラス割の教育が古いのでは?とも思います。日本にもあるかもしれませんが、外国の小学校で決まった机無しで、教室で自分が好きな教科、音楽、図画工作などから始めて、友達に教えてもらったり、教えてあげたり。特に図工は算数が必要だったり、また読書したり…。絵空事かもしれませんが学年をこえてそんな教室があったら、60代の私も、行きたいと思います(かわらなでしこ)
12、わが子は3人。内、2人が不登校を経験しました。長女はとても繊細な子。当時の担任の行き過ぎた指導により、学校へ行けなくなってしまいました。繊細で過敏な子は、ちょっと行き過ぎた教員の言動には耐えられなかったんでしょう。家族や福祉の支えで自信を取り戻し、復帰することができました。長男は発達障がいがあります。とはいえ、誰がみても分かる程度の障がいであれば支援をいただけますが、わかり難い子どもは「できて当たり前」を求められます。そしてできない自分を目の当たりにします。そうやって、どんどん追い詰められて感覚過敏や身体症状が顕著に表れるようになりました。学校に行けたのは入学して1カ月かどうか。そこから暗黒時代がスタートします。いえ、すでに入学前から暗黒時代が始まっていたのかもしれません。親も子もたくさん泣きました。助けてくれるのは学校ではなく、医療や福祉でした。まだまだ教育の現場での理解や対応・体制が不十分です。そして朝は保護者に送られて泣きながらイヤイヤ登校させられている子を多く見ます。そのやり方が本当に適切なのでしょうか。不登校になる要因はさまざまです。要因を見極め、適切に対応をしなければ暗黒時代からなかなか抜けられない・・・・。これは私たち家族が身をもって経験したことです。不登校はきれいごとではどうにも改善しませんね。そんなわが子は、今は毎日学校に通えるようになりました。でも、一度経験すると、ちょっとしたことでよぎるんです。大丈夫かな? と。不登校は経験した方にしかわからない苦悩があると思います。でも、不登校に限らず壁にぶつかったとき「誰」に出会って「誰」に救われるか・・・。これ、ものすごく重要だと思っています。
13、自分もひどい頭痛持ちですが、子どもにもしっかり遺伝しており。幸い不登校には至っていませんが、学校の人の多さやざわめき、緊張が原因のよう。本人も、できれば学校には行きたくないけど、行かないと不安の堂々巡り。親としても、そこまで無理して学校に行かせるべきか、悩ましいところです。そんな話をすると、よそにも、頭痛持ち、生理痛のひどい子など休みがちな子はたくさん。コロナ禍で思ったんですが、リモートで参加できる小中高が増えたらどんなにうれしいか。文科省の方針を見るに、子供たちに多くを求めすぎてはいないか? 子供たちにストレスを与えすぎてはいないか? と不安に駆られて私まで頭痛がしてきます。(金巴里橙)
14、私は通いましたが、あの学校の冷たい建物は苦手でしたし、集団行動はもっと苦手でした。最近県立美術館で米子高専さんの卒業展示を見たのですが、音や匂いに対する感覚が鋭く、人の気持ちや場の空気を読みすぎる気質を持つHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の子どもさんHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド)の方向けの建物の構想を展示しておられました。小中高時代、自身と同じような経験をした人の本や体験を聞いたので、もっと多様な場所で、学べたらと思いました。

15、私も不登校生徒だった。授業が面白くなくて、家で一人で勉強する方が能率が上がった。塾など行っていない。母はなんでサボるのかと私を叱った。しかし、家にいる方が成績は上がる。友人は遊びによく来る。母はなにも言わなくなった。担任もはじめは、ずる休みをすると思っていたようだが、授業が面白くなくて家に帰るのがわかったのか、早退しようと職員室に行くと「今日はおなかが痛いにしておくのか」と笑っていた。登校拒否の子がいると子どもにばかり文句を言うのでなく、先生がどんな授業をしているか、見る必要があるのでは、と思う。(ドルチェ)
16、学生時代、不登校でした。イジメがあったわけではなく、どうしても女子特有のグループが嫌で、つまらない授業を静かに座っているのが苦痛で、みんなと同じ服を着て、同じことをするのが苦痛で。不登校の子どもの数が過去最高なのは学校での過剰なコロナ対策がひとつの原因になっていると思います。平日の昼間ウロウロしている子がいてもどうか変な目で見ないでください。子どもたちを責めないでください。親を責めないでください。不登校の子は不登校の子なりの役目があります。事情があります。「夢見る小学校」と言う映画を知っていますか? とても、面白い映画です。
17、新しい友達との出会いを楽しみに中学校へ入学した娘。「今日○○ちゃんと仲良くなったよ」とうれしそうに話してくれていたのに。その仲良しグループから、まさかイジメを受ける事になるなんて。娘はしばらく不登校になりました。学校も何もしてくれませんでした。何とか勇気を出して通い始めた避難用の特別クラス。それでも、娘の人生は大きく変わってしまいました。軽い気持ちでイジメをしてるつもりでも、されてる側にとっては心に治らない傷を残し、その後の人生さえも変えてしまう事を、人として学んでほしいと思っています。また、学校側も現実から目を背けないで、1人の生徒と言うより、1人の命と向き合うつもりで対応してほしいものです。
ペンネーム
18、私も無理に行かなくてもいいと思う派です。家族としてはとても心配されるかと思います。どうかわが子を信じて。そしてどうか抱え込まないで、学校関係の方や信頼できる人に話しをきいてもらいながら、気楽にわが子と過ごして。自身の仕事に影響がでるかもしれないですが、仕事はいつでもやり直しができます。悩んだ分だけ親も子も成長します。必ず自分たちがしっくりくる時がきます。これが私が最悪だった時期を振り返って思う気持ちです。(頑張れ、じゃなく楽しんで)
記者雑感
小学校教員をやめ、昨春から塾講師に転身した男性が「学校がどんどんつまらない場所になっている」と話した言葉が印象に残っています。新型コロナウイルス禍で「給食の黙食」や「行事の中止、縮小」があり、学校生活に楽しみを見いだせない子どもが増えているとのことでした。
20年近く前の小学生時代、軽い「いじめ」にあいました。「汚い」「地黒」などと悪口を言われ、配布物が配られないのは日常茶飯事でした。つらい思いもたくさんしましたが、遊んでくれる友人がいたので、学校に通い続けることができました。ただ、環境が少しでも違っていたら、どうなったか分かりません。
集団生活の中で、勉強と人間関係を学ぶ学校教育システムが限界を迎えているのかもしれません。定時制や通信制など、自らの状況に合った学びの場を義務教育年代にも導入するなど、考え方を切り替え、変えてもいいのではないか、とみなさんの投稿を読んで感じました。(担当記者)
次回テーマ 「子どもを生み、育てやすい社会とは?」
次回のテーマは「子どもを生み、育てやすい社会とは?」です。少子化は全国的な課題ですが、山陰両県でも年々出生数が減っています。どうしたら地域に子どもが増えるでしょうか。そもそも、今は出産や育児が難しい社会なのでしょうか。4月9日は島根、鳥取両県知事選、県議選の投開票日です。この機会に、考えてみませんか。
コメントをツイッターとLINEで募ります。ツイッターは「#さんコメ」をつけて、つぶやいてください! 匿名OK。ペンネームがあるとうれしいです。4月2日に特集を組みます。