戦後間もなく、神奈川県に混血孤児を養育する施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を開設した沢田美喜(1901~80年)が山陰にゆかりがあると、今月発行の鳥取県総合情報誌「とっとりNOW」で知った▼美喜は三菱財閥を起こした岩崎弥太郎の孫で、22歳で結婚した。その相手で外交官の沢田廉三が鳥取県浦富村(現岩美町)出身だった。恵まれた境遇の美喜が私財を投じ、進駐軍兵士との間に生まれた孤児の養護施設を造ったきっかけは、列車内での運命的ともいえる出来事にあった▼振動で揺れた棚上の荷物が美喜の膝の上へ落ちた。闇物資摘発のために乗り込んでいた警官が中を開けると、肌の黒い泣かぬ乳児。その後も川べりや町の隅で捨てられた混血の乳児を目にし、その子たちの母になる、と決心する▼きれいごとの慈善事業ではなかっただろう。差別に中傷、時に報われない結果に苦悩したことは、澤地久枝さんの著書『あなたに似た人 11人の女の履歴書』に美喜の言葉として語られている。それでも何不足ない外交官の妻としての人生に疑問を感じていた美喜が、自身の子育てを終えた後、施設で計2千人の母となり、悔いなく生きた充実感は、漫然と生活する同性のわが身にもよく伝わる▼岩美町には、施設の臨海学校に使った沢田家の別荘が今も残る。浦富の海を望む丘には夫妻の墓があるという。手を合わせに行きたい。(衣)













