<おまい(お前)だったのか。いつも栗をくれたのは>。ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。兵十は、火縄銃をぱたりと、とり落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました▼童話『ごんぎつね』の結末である。読み聞かされると泣かぬ自信がない。ごんは、いたずら心で村人の兵十が捕まえたウナギを盗んだのを悔いて善行を重ね、善行は撃たれてやっと認められた。読後感が重い▼今年は作者・新美南吉の没後80年に当たり、改めて読むと案外難しい。ごんの生死は想像するよりなく、各描写も洞察力と経験がないと意図をつかめない。『ルポ誰が国語力を殺すのか』(石井光太著)では、兵十の母の葬儀にある煮炊きの場面を事例紹介する。目的を問われた児童たちが遺体を溶かす、消毒するなど珍解答を繰り返したという。正解は食事の用意だが、昔の葬儀を知らないと厳しいことは厳しい▼新型コロナウイルス禍で家族葬と流れ焼香が定着し、今後どうなるのか。前の一日がかりの参列は大変でも、大切な人の最期の最期に長く居合わせられないのは無念だ。葬儀は故人とわが身を顧みる場でもある▼ごんは葬儀を見て兵十の母を思った。<うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった>。後悔と優しさの先に待ち構えていた悲劇…。いかん、涙が出そうだ。(板)