先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に出席する米英仏の核保有国を含む各国首脳らが爆心地近くの平和記念公園を訪れ、原爆資料館を見学した。米大統領の訪問は2016年のオバマ氏以来で、英仏、ドイツ、カナダの首脳は初めてだ。
約78年前の原爆投下がもたらした筆舌に尽くしがたい人間的悲惨さ。壮絶極まりない熱線と爆風で、わが身に一体何が起こったのかも分からぬまま無数の老若男女が瞬時にして屍(しかばね)と化した。生き残った者も死と背中合わせの原爆症の恐怖にさいなまれ続ける。母親の胎内で被爆し、障害を負った原爆小頭症の被爆者は生まれながらにして人生を狂わされた。
そんな絶対悪の許されざる所業と核使用の残忍な帰結に「核のボタン」を握る政治指導者が向き合い、核兵器の非道ぶりに理解を深めることの意味は重い。米国が管理する核弾頭を有事に譲り受ける核共有体制下の独伊の首脳が広島を訪れたことも意義深い。
被爆の実相を追体験することによって、間違いをなし得る人間が核を操ることの恐ろしさと危うさに覚醒する―。そんな畏怖の念こそが、危機にあっても核リスクを回避する努力を為政者に促し、77年以上続く「核のタブー(禁忌)」をより強靱(きょうじん)なものとするからだ。
G7首脳そろっての被爆地訪問は、評価されるべき歴史的出来事だ。しかし残念なことに、首脳らが今回、具体的にどんな被爆資料や遺品を見たのか、熱線・爆風・放射線の被害を包括的に伝える資料館本館を訪れたのか否か、日本政府は明らかにしていない。
広島選出の岸田文雄首相は「準備、調整の過程で訪問内容や、やりとりを非公開とすることになった」と述べるだけだ。
「なぜ資料館を幕で覆い隠すのか。なぜ見学の様子を隠さないといけないのか。一部でもいいから見せればいい。そして、遺品を見詰める首脳の表情や言葉に接したい」。6歳で被爆した元原爆資料館長の原田浩さん(83)は見学を伝えるテレビ画面を見た直後、静かに語った。
同じ血の通った人間として自分たちの苦しみや痛み、悲しみを真正面から受けとめ、二度と被爆者をつくらないという非核の決意と哲学へと昇華させる。その上で初めて人類はどうして「核なき世界」を目指すべきなのか、核抑止論という持続可能性の低い安全保障体系からの将来的脱却がなぜ必要かが見えてくる。
G7首脳は資料館見学後「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」を発表し、岸田首相は現実的で具体的な核軍縮の実践につながると胸を張る。
確かに、ビジョンは「77年間におよぶ核兵器の不使用の記録の重要性を強調する」と明記している。また「ロシアによる核兵器の使用の威嚇、ましてやロシアによる核兵器のいかなる使用も許されない」と、ウクライナを侵攻するプーチン大統領を鋭くけん制している。
だが一方で、ロシア以外の核保有国の使用や威嚇については曖昧さが残る。なぜ昨年11月の20カ国・地域(G20)首脳宣言のように「核の使用またはその威嚇は許されない」と断言できないのか。その根底にあるのは、核の使用と威嚇に立脚したG7の核抑止論への信奉だろう。無数の死者が眠る被爆地で発する文書として歴史の評価に耐えうるとは思えない。