木次線を走る奥出雲おろち号=島根県奥出雲町八川
木次線を走る奥出雲おろち号=島根県奥出雲町八川
木次鉄道部の初代鉄道部長だった時代を振り返る野室郁夫さん=鳥取県米子市弥生町
木次鉄道部の初代鉄道部長だった時代を振り返る野室郁夫さん=鳥取県米子市弥生町
木次線を走る奥出雲おろち号=島根県奥出雲町八川
木次鉄道部の初代鉄道部長だった時代を振り返る野室郁夫さん=鳥取県米子市弥生町

 26年間、JR木次線を走り続けてきたトロッコ列車・奥出雲おろち号が23日で運行を終える。旧横田町(現・島根県奥出雲町)とJR西日本木次鉄道部が連携して道筋を作り、1998年の導入からこれまでに30万人以上が乗車した。運行当初を知る関係者は「おろち号は宝物だった」と万感の思いで最後の日を迎える。

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 木次線は最盛期の60年代に宍道ー備後落合駅間の輸送密度(1キロ当たりの1日の平均乗客数)が2500人を超えたものの、国鉄民営化の87年には663人に落ち込んだ。90年に木次駅に発足した木次鉄道部の初代鉄道部長の野室郁夫さん(81)=米子市在住=は活性化策を検討する中で「92年に職員からトロッコ列車の案が出た」と振り返る。

 当時、京都市の嵯峨野トロッコ列車が人気で視察に出向いた。保津川渓谷の大自然を走る列車は木次線と通じるものがあり、成功を確信。沿線の旧横田町は92年に完成した日本最大級の二重ループ橋・奥出雲おろちループ(奥出雲町八川)や進行方向を変えながら急勾配を上がる木次線の3段式スイッチバックの魅力発信を検討しており、両者は協議しトロッコ列車は観光資源をつなぐ「呼び水になる」との考えで一致した。

 94年に町が正式にJR西日本に導入を要請し、JRが既存車両を改造。98年4月の運行開始を前に愛称を公募し、神話の大蛇の名を冠した「奥出雲おろち号」に決まった。野室さんは「自分たちが発案したものが形となり、続いてきたことは宝物だ」と胸を張る。

 車体は97年開校の島根デザイン専門学校(奥出雲町横田)の講師だった片平千佳さん(50)=広島市在住=が「中国山地の星空を駆け抜ける銀河鉄道」をイメージし、星をちりばめてデザイン。山の緑と赤色に塗られた三井野大橋(奥出雲町八川)に負けないよう青を基調とした。

 片平さんは、列車が地域をつなぐ存在になったのがうれしい。「線路沿いに花を植えたり、乗客に手を振ったり、皆笑顔になった」と振り返り「走り続けて地域の人の思い出になった。デザインを担当できたのはとても光栄」と話す。

 野室さんが気がかりなのは木次線の今後だ。22年度の輸送密度は171人と厳しく、おろち号引退後は「通学利用者しかいなくなるのでは」と危ぶむ。「地域の人が普段から目を向け、少しでも利用することが大切」と呼びかけた。

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 奥出雲おろち号のラストランは、23日午前8時45分出雲市駅発で、備後落合駅(広島県庄原市)で折り返し、午後3時57分に木次駅着で運行を終える。沿線自治体は、写真撮影などで私有地への侵入や違法駐車がないよう呼びかけている。

 木次駅周辺では午前10時~午後5時半に「ありがとう奥出雲おろち号フェスタ」が開かれ、軽食販売やステージイベントがある。午後4時半~同5時半は駅近くの木次列車支部でおろち号の記念撮影会を開く。(山本泰平)