森林に並ぶシイタケ栽培の原木。通勤道で見かけた落とし物のシイタケの古里はどこだったのだろう=宮城県登米市(資料)
森林に並ぶシイタケ栽培の原木。通勤道で見かけた落とし物のシイタケの古里はどこだったのだろう=宮城県登米市(資料)

 歩いていると落とし物に目がいく。この季節はマフラーや手袋がよく落ちているが、植え込みなどにそっと避難させられていると、道行く人の心遣いに触れたようで少し安心もする▼先日は通勤道にシイタケが一つ、落ちていた。かさを下にアスファルトに転がる様は所在なさげで、ここが落ち葉に覆われた森だったらさみしくなかろうとふびんだった。落とし物にわが身を重ね、同情する人は少なくないのかもしれない▼歌手の宇多田ヒカルさんは時々、落とし物の写真をインスタグラムに投稿する。写すのは「面白いと思う物、なんだかかわいそうだと思う物」と以前テレビ番組で話していた。「たどるべきはずだった運命からこぼれ落ちてしまったという予期せぬ出来事を甘受せざるを得ない物、置いていかれてしまった誰にも目もくれられずにいる物に共感する」からだという▼ただ、落ちたからこそ気付く道もあろう。知人が来月、不登校の子どもが集う1年限りの「学校」を出雲市内に開く。小学校に行けなくなった8歳の息子に、「お母さん、関わる人みんなが幸せになる学校をつくろう」と提案されたのが発端。旧知の和歌山県のNPOと連携し、自分を生かす力を育てるプログラムを構築した▼社会通念の下に、たどるべきだと思い込んでいる道もある。お膳立てされた場所が合わなければ、探せばいい。「当たり前」は変わってきている。(衣)