ー新型コロナウイルスが5類に移行しました。

2月に、グループ全体の経営方針発表会・創業祭を4年ぶりにお客さまをお呼びし、対面で開きました。社員に人づくり、組織づくり、地域貢献、そして宝の山戦略の方針を伝えました。

宝の山戦略とは、いままで関わってきたものの中に新しい需要やビジネスの種があると考え、生かしていく戦略です。

コロナ禍は常に新しい需要が舞い込んでくる状態でしたが、今後はこの戦略や組織づくり、地域貢献などの視点を大切に事業拡大していきたいです。

ー 松江市総合文化センターの命名権(ネーミングライツ)を取得しました。

「さんびる文化センタープラバホール」と命名しました。契約期間は3年間で、年300万円の契約金(ネーミングライツ料)は、施設運営やイベントなどに使ってもらいます。地域の人たちにもっとさんびるの名前に親しんでもらい、従業員に誇りを持ってもらえる企業を目指す一つの手段として取得しました。

 

ー 海外進出も狙っています。

約30人の外国人技能実習生を雇用し専用の寮も整備しています。新たな雇用確保や事業進出を狙い、部門を立ち上げました。5月には出雲空港とベトナムを結ぶチャーター便が飛びます。今後海外でも事業を拡大していく方針です。
 

ー 公共施設の建設、管理で民間の資金やノウハウを活用するPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)にも取り組んでいます。

米子市東山町にできる収容数4000人超の新体育館「米子アリーナ」にPFIで関わります。

さんびるを含む複数社で新会社「がいなSYAパートナーズ」を設立し、われわれは施設運営と維持管理を担当します。

指定管理とは違い15年という長い期間で関わる事業です。

今後、社会に必要とされる会社となり、多くの人の「お役立ち産業」として地域に愛される「さんびる」になるため、グループ企業ともどもまい進していきます。
 

 

若い人は誰でも大きな可能性を秘めています。

型にはまった人にはなってほしくない。向き、不向きではなく、男女も関係なく、勇気を持ってチャレンジすることが大切です。

時には泣いて、苦しむ経験が人を成長させてくれます。転ぶことやけがをすることを恐れず、一度の生涯を生き生きと楽しんでほしいと思います。

田中正彦=島根県松江市出身(66歳) 2006年に現職に就任。

松江工業高校を卒業後、兵庫県内の大手製鉄メーカーに入り、2年半後にUターン。1979年にさんびるに入社し、2001年から経営のかじ取りを担う。

趣味は、農業。松江市鹿島町の実家では、30年前から2反ほどの水田で稲作をしているほか、畑では様々な野菜を作っており、現在タマネギ800株、ニンニク200株などを植え付けており、孫と一緒に収穫作業などを楽しんでいます。

㈱さんびる