詩画作家の星野富弘さんが78歳で亡くなった。四季の草花の水彩画に柔らかい言葉を添えた作品は、優しくも力強い。勇気づけられた一人として、感謝の気持ちでお別れしたい。
よく知られるように口で筆をくわえ、創作を続けた。出身地の群馬で中学教員になり、器械体操の指導中、頭から落下。頸髄(けいずい)損傷で首から下の自由を失った。24歳だった。
入院中に仲良くなり、転院していった男子中学生がいた。寄せ書きを頼まれたが、頭さえ動かせず、母親に手伝ってもらった。「自分で書いた」。感激する彼に、つい「うそ」をついてしまった。「少しでも本当にしよう」とペンをくわえ、スケッチブックに1字、カタカナの「ア」と書けたのは事故から2年半後。「ついたうそも、ゆるしてもらえるような気がした」。著書『かぎりなくやさしい花々』(偕成社)で、その時の喜びをつづっている。字は文になり、やがて絵になった。
1997年に松江市であった個展の事前取材で、初めて作品に触れた。その後の記者生活で幾度となく「富弘ファン」に出会った。ある高齢男性は麻痺(まひ)の残る体で筆を執り、作品の「模写」を続けていた。その営みが生活を支え、彩っていた。
「野ばら」という詩がある。<この道は茨(いばら)の道/しかし 茨にも ほのかにかおる花が咲く/あの花が好きだから この道をゆこう>。純白の花がまぶたに浮かぶ。作品は生き続ける。(吉)