
野﨑千愛季(19)が島根大付属義務教育学校(松江市菅田町)の9年だった2019年。高校の進路選択を巡り、松江市内の野﨑家で家族会議が開かれていた。
今や誰にもまねできない作品を生み出し、全国的に評価される作家となった野﨑だが、当時はアートの道を選ぶことに周囲の意見は割れた。「これからの人生、何があるか分からないから」と父。野﨑が志望した宍道高校(松江市宍道町宍道)定時制への進学に反対した。
島根大附属の幼稚園、小学校、中学校とエスカレーター式に進んだ。クラスで机を並べる同級生は、大半が進学校を選ぶ。野﨑の学力も問題なかった。ただ定時制のある宍道高校に行きたかった。創作にさらに向き合うために。

自然や動物、創作のタネに
小さい頃から気付けば、作り始めていた。
幼稚園の年長の時、芋掘りの様子を描いた絵を母が「上手だね」と褒めてくれた。小学生になると想像の翼は縦横無尽に広がった。空想の生物を描き、芋虫のような「ガチョリンコ」、一つ目の「ピヨピヨ星人」などと名付けては、次々とお手製の図鑑にまとめた。
学年が上がると、物語も加えた。
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