
朝と夕方は、家の外に出られなかった。
家の前の道路。近くの高校に通う生徒が楽しそうな声を上げながら登校、下校していく。
「私服で歩いている私の姿を見られたら、変に思われたりしないかな」。
宍道高校(松江市宍道町宍道)に通っていた野﨑千愛季(19)は孤独の中にいた。
本気で向き合うため
新型コロナウイルスの感染拡大で高校入学後、しばらくして登校できなくなった。学校が再開してから飲食店でアルバイトを始め、午前中は通学し、午後はバイトという生活。家に帰ると疲れ果てていた。
自分で「やる」と言ったはずの創作に手を付ける気力が沸かなかった。宍道高校への進学に反対した父に「全然、作ってないじゃないか」とたしなめられた。

1年時の冬にバイトを辞めた。2年への進級を控えた春休み。妹に「バービー人形の服を作ってよ」と頼まれ、外国の民族衣装風に仕上げた。手が再び、動き始めた。
創作するために宍道高校を選んだ。本気で向き合うために2年から定時制ではなく、通学の回数が少ない通信制を選択。
ースイッチが入ったー。
そこからは止まらなくなった。提出が必要なレポートは締め切り直前にまとめて片付けた。あとは朝から夜まで、食事と睡眠以外のほとんどの時間を創作に充てた。1日10時間を超えることもあった。同時に何枚もの絵を並行して手掛け、2カ月間で30枚以上を描き上げた。
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