日御碕地区が孤立するなど島根県東部で被害が相次いだ9日、出雲市の飯塚俊之市長、松江市の上定昭仁市長、島根県の丸山達也知事はいずれも要望活動で東京都内に滞在し、10日に帰県した。飯塚市長は「常に状況を見極めながら適切な指示をした」と述べ、不在の影響はなかったとの認識を示した。

 「予定を調整しても帰ってこられる状況ではなかった」

 10日午後3時半から日御碕地区の県道の崩落現場を視察した飯塚市長が取材に答えた。高規格道路「境港出雲道路」の早期整備などの要望活動で8日に上京し、9日は都内に宿泊。10日は都内での予定を全てキャンセルし、朝一番の出雲便で帰県した。

 市によると、市長が不在時の災害対応は、防災安全部長らが電話などで市長に状況を伝える。今回は警報発令や避難所開設のタイミングなどで連絡した。

 9日午後6時50分に日御碕地区の道路崩落を把握し、孤立の可能性を含めて即座に市長と共有。現地対応は同地区在住の3人の職員がコミュニティーセンターを拠点に、市役所本庁との連絡や保健師としての支援に当たっている。

 住宅の浸水、道路の冠水などの被害が出た松江市の上定市長も9日は要望活動で上京中で、都内に宿泊。副市長に市内の被害状況や避難所の様子などを聞き取った。10日午後に帰県した。

 島根県は9日午後10時に出雲県土整備事務所から出雲市に職員を派遣。国、県、建設コンサルタントの3者で10日午前8時から日御碕地区の崩落現場を現地調査した。9日は都内で要望活動し、10日午前に空路で帰県した丸山知事は「必要な指示はいつでも出せる状況だった」と話した。