竹島のニホンアシカが逃げ出した様子を伝える1902年3月3日付の京都日出新聞(国立国会図書館所蔵)
竹島のニホンアシカが逃げ出した様子を伝える1902年3月3日付の京都日出新聞(国立国会図書館所蔵)

 竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))で捕獲したニホンアシカを取り上げた1902(明治35)年の新聞記事が見つかった。竹島でのアシカ猟を伝える公的記録では最も古く、専門家は明治期の竹島漁猟で早い段階から生け捕りの技法があり、竹島と日本の深い結び付きを補強する資料として注目する。

 記事は京都日出新聞の02年3月3日付「海(狩の守が賓)(かいひん)観客を驚かす」。体長七尺(2・1メートル)のアシカが京都の見世物小屋で2度も逃げ出し、騒ぎになったと伝える記事で、「東京洋魚組合水産技師遠藤達造氏が二月十五日に日本海中無人の孤島リヤンコ島にて捕獲せしものなりと」と記載されている。

 リヤンコ島は、隠岐の漁師が使っていた竹島の呼称。アシカ猟の公式記録では03(明治36)年の「竹島貸下海驢漁業」(島根県公文書センター所蔵)が最古とされていた。

 ニホンアシカの生態などに詳しい井上貴央鳥取大名誉教授(72)が、ネット上に個人が開設する「見世物興行年表」に、記事の転載があるのを数年前に見つけた。

 昨年、井上名誉教授の依頼を受けた島根県竹島問題研究顧問の藤井賢二さん(68)が国立国会図書館にある同紙のマイクロフィルムを確認。アシカが逃げ出し、見物人が驚く様子を描いた木版画の挿絵も併せて掲載されているのが判明した。

 竹島でのアシカ猟は、脂や皮を取るために江戸時代から行われてきた。明治に入っての初期の猟では、島後の五箇地区、島前では西ノ島の物井地区の住民らの口述記録がある。口述記録は、本人の話ではない場合や、実際に猟を行った時から時間が経過しているケースがあった。

 井上名誉教授は「アシカの捕獲が行われたことを示す信頼性の高い資料で、極めて重要だ」とし、明治期の早い段階ですでに展示物として価値を見いだされていたことに注目する。

 資料は領土・主権展示館(東京都)で23日から9月1日まで、記事の詳しい解説や韓国側のアシカに関する主張への反論を集めた企画展を開いている。 (鎌田剛)