中国地方最高峰1729メートルの大山が、松江市内から見えた。最初の記憶は中学時代、校舎上階の音楽室の窓越しだった。澄んだ空気の向こうに、くっきりと見えた日の小さな喜びは、あれから数十年たった今も覚えている▼昨秋、米子勤務となり、その存在はより身近になった。冬の晴れ間にのぞく姿は、寒さに縮こまらず顔を上げて歩こうと思わせてくれた。暑さにも動じない。連日仰ぎ見ていると、山頂付近の雲が、日本海側でもくもくと渦巻くようにかかっていれば「フェーン現象か。きょうは猛暑だな」などと思うようになった▼鳥取県西部の3町にまたがる大山。米子市は、言ってみれば「大山が見えるまち」に過ぎないのだが、その景観は間違いなく市民のものだと思う▼手元に、先輩記者が16年前に大山の姿は「市民の原風景」とし、その活用を訴えた市政課題の企画がある。市町村合併から間もない頃の記事だが、今もキーワードだと思うのが、文中に出てくる「借景」だ▼「米子は何もない」は、インバウンド(訪日客)誘致など観光振興策の話の中でよく耳にする言葉。だが、米子から日帰り圏内で魅力あるスポットは島根県側を含めて山ほどある。「ないもの」は借りたり、貸したりする関係の中で、新しい人の流れをつくればいい。答えが昔も今も変わらないのなら、あとは行動。思い切って「借景のまち」を打ち出してみてはどうか。(吉)