32年ぶりとなる夏の甲子園出場を決め、喜ぶ大社ナイン。応援団の熱い夏も始まる=7月27日、出雲市・島根県立浜山公園野球場
32年ぶりとなる夏の甲子園出場を決め、喜ぶ大社ナイン。応援団の熱い夏も始まる=7月27日、出雲市・島根県立浜山公園野球場

 鉄道ファンの間で「珍列車」として語り継がれるのが1991年から3年間、夏の全国高校野球選手権大会と春の選抜大会の期間のみ、JR西日本が運行した寝台列車「ナインドリーム甲子園」だという。

 午後10時過ぎに新大阪駅を出て大阪駅で8時間停車。翌日午前6時半に4駅先の甲子園口駅に向けて出発し、着後も同8時半までは乗車できた〝列車ホテル〟だ。運賃は大人3500円と破格の安さ。当時は甲子園球場周辺に大型ホテルがなかったためで、応援客のニーズに応えた粋な計らいだ。

 そんな幻の列車が走った92年夏、出雲市駅からも臨時夜行列車が運行された。7年ぶりに甲子園出場を決めた大社高校野球部の応援のため。生徒用の列車には真ん中に校章、「闘魂」「大社」と文字の入ったヘッドマークが付いた。当時の本紙によるとバス22台に800人、臨時列車2本に千人、現地集合も合わせ3千人の大応援団だったという。

 当時、生徒の1人として応援に加わった。試合は宇都宮南(栃木)に惜敗。一塁側スタンドから引き揚げる中で目にしたのは、星稜(石川)の松井秀喜選手の姿。次は明徳義塾(高知)との一戦で、5打席連続敬遠で話題となった伝説のゲームだった。

 そんな逸話も含め、夜汽車で甲子園へ行ったことは大事な思い出。今夏、大社が32年ぶりに甲子園の土を踏む。ナインの夢に便乗させてもらう応援団の熱い夏も始まる。(衣)