リング上で圧倒的な存在感を示すジャイアント馬場さん=1998年9月、東京・日本武道館
リング上で圧倒的な存在感を示すジャイアント馬場さん=1998年9月、東京・日本武道館

 ある懇親会で新潟の方と談笑し「今年はジャイアント馬場さんの没後25年ですね」と水を向けると話が弾んだ。馬場さんは国民的プロレスラーで出身地の新潟県三条市で今夏、顕彰の記念事業があったそうだ。

 子どもの頃、テレビで馬場さんの試合を見るのが好きだった。最初に相手に攻めさせ、反撃に転じるのがお約束。だが友達に「何で相手の技をよけず、わざわざ食らうんだ」と質問され、困った。

 謎は解けず、格闘技路線を打ち出す別の団体に“浮気”した時期もある。結局は殺伐とした試合になじめず、馬場さん率いる全日本プロレス観戦に戻った。

 1999年の死去の数年前に馬場さんがプロレスを語った雑誌を読み、腑(ふ)に落ちた。まず相互に「殴りたいなら殴れ」と技を受け合う前提で闘うそうだ。それで確かにプロレスらしくなる。レスラーは痛めつけられてもいいように、体と受け身を鍛えなさいと説いた。だからだろう。受ける技術と意識がなく攻撃一辺倒のレスラーには手厳しかった。

 生涯現役だった馬場さんが主役の座を譲った80年代以降、まな弟子たちが激闘を繰り広げた。試合内容は馬場さんの全盛期よりも高度化、過激化し、受け身の取りにくい危険な技が増えた。薫陶を受けた三沢光晴さんが2009年、試合中に死亡。ダメージの蓄積が指摘された。どこかで線を引けなかったのか。この世にいないと分かっていても、馬場御大に尋ねたい。(板)