1965年10月20日午後、京都市内のホテル。各界の賢人たちが額を寄せ合い、一つの文章を推敲(すいこう)していた。「20世紀は偉大な進歩の時代であったが、同時に苦悩にみちた争いの世紀でもあった」
この一文を見たノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹が言った。「20世紀は1999年まであるわけですからね、争いの世紀でもあったと決め込んじゃ、これ非常に具合悪い。その間に努力しなければならないのですから」
元々の文章の起草者であるフランス文学者の桑原武夫が「20世紀」を「近代」と置き換える案を示すも、打ち出しが弱くなると懸念の声が上がる。作家の大仏次郎が提案した「今日まで」を挿入する形で落ち着き、次の修正に取りかかる―。1970年大阪万博の開催意義を宣言した「基本理念」を練り上げるテーマ委員会の作業の一幕だ。2時間半にわたって繰り広げられたかんかんがくがくの議論が会議録に残っている。基本理念をベースに生み出されたのが「人類の進歩と調和」というテーマだった。
他の文献をめくると、在野から万博の意義を考えた作家、小松左京らの存在も欠かせなかったことが分かる。一流の知識人がアジ...