民話再訪者の小野和子さん=2020年2月
民話再訪者の小野和子さん=2020年2月

 <いい話をきかせてもらうことは、いつ迄(まで)も減らない福を贈られたと同じである>とは、幸田文さんの随筆の一文。この人はどれだけの福を受け取ったのか。

 小欄で以前も触れた仙台市在住の民話採訪者、小野和子さん(90)。「覚えている昔話がありますか」と東北各地の集落を歩いた。「野の人々が胸に秘めているため息みたいなものを誰かが聞く必要があると思った」と、50年にわたる活動で録音したテープは千本以上。90歳で273もの民話を昔と変わらずに語った人もいたという。

 動物との不思議な体験、災害や貧困の苦労…。語られるのは民話だけでなく、その地に生きた人々の名もなき歴史。それは、受け取る人がいなければ消えてしまう。だから聞き伝え、残すことで小野さんも福を贈っていたことが、8人の語り手の人生をつづった近著『忘れられない日本人 民話を語る人たち』からも分かる。

 「そう遠くない過去に、人間としての尊厳を手放さずに生きた人々のその生は、この狂気の時代にあって、生きることの本来の意味を、深々とみせてくれるだろう」とは、刊行に寄せた小野さんの若き友人である発行人の言葉。読み進めながら何度も胸に抱えたくなる一冊だ。

 それにしても昭和ですら今年は改元から100年。小野さんが主に聞いた明治、大正までは引き継がれた語りはよしとして、消えてしまった「歴史」はいくつあるだろう。(衣)