縄文時代に触れられる三内丸山遺跡の大型掘立柱建物(左)と大型竪穴建物(右)=2023年7月、青森市
縄文時代に触れられる三内丸山遺跡の大型掘立柱建物(左)と大型竪穴建物(右)=2023年7月、青森市

 4万2300年前-。広島県廿日市市の冠遺跡で出土した石器の年代が先月判明した。国内最古とされていた3万8千年前の石器より古く、日本列島に人類が到達した時期の通説が変わりそうだ。

 それより“近い”1万5千年前に始まった縄文時代は世界的にまれな時代という。人は植物の採集、漁労、狩猟を軸に自然の恵みだけで生活。土器での煮炊きで食の幅も広がり、本格的な農耕や牧畜を伴わずに定住する暮らしを1万年以上も続けた。可能にしたのは氷期が終わっての温暖な気候。豊かさのたまものか。戦争や暴力とほぼ無縁だったことが、他地域にない特徴として注目されている。

 そんな「縄文」に触れられるのが青森市の大規模集落跡・三内丸山遺跡(5900~4200年前)。2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」の中核として世界文化遺産に登録された遺跡を訪ねた。興味深かったのは「お墓」だ。

 世代ごとに場所が異なり、大人は副葬品と共に埋葬。長老は敬愛の念を示すためか周囲に石が置かれた。乳児は丸い石と土器に入れられ、人がよく通る場所に葬った。遺跡センターの岡田康博顧問は「石は魂の象徴か。母親たちは早く胎内に戻ってほしいと墓の上を歩いた可能性もある」と話す。

 縄文の人たちは死と生は連関し自然と共に巡ると捉えたのだろう。その循環を故意に断つ殺人や戦争は発想すらなかったかもしれない。(衣)