昭和の生まれとはいっても、「4番サード」だった頃の長嶋茂雄さんを知らない。プロ野球史に輝く「天覧試合」のサヨナラ本塁打も、モノクロの世界だ。
89歳で先月亡くなった長嶋さんを追悼し、その試合がたびたび取り上げられるうちに思い出したフレーズがある。<その日のゲームの第一球目についておぼえている人は少ない>。スポーツノンフィクションの草分け、山際淳司さんの『異邦人たちの天覧試合』の冒頭だ。
その日、1959年6月25日の「最後の一球」は長嶋さんの劇的な一打。最初の一球に目を付けるところが山際さんらしい。覚えていたのが物語の主人公となる阪神の監督、日米の国籍を持つハワイ生まれの日系2世、カイザー田中さんだった。
当時は戦後14年。今年で80年。改めて読み返し、巨人のコーチだった「打撃の神様」川上哲治さんら登場人物の内にある「戦争」の色濃さに思わずうなった。カイザーさんは選手として日本で真珠湾攻撃の日を迎えた。終戦前は情報収集のため米軍の短波放送を聞き、通訳を担わされた。どちらも自分の国だ。
少年時代、ホノルルの自宅には天皇の写真が飾られ「神様」と聞かされて育った。どうしても勝ちたかった。だから覚えていたのだろうか。まばゆい光がつくる濃い影さえ、目を引き、時代を語る。山際さんが描いたのは、昭和のスーパースターのそんな一面だったかもしれない。(吉)