今回の参院選も、政治に変化を求める声が結果を左右した。序盤、最大争点は物価や経済対策と思っていたが、外国人問題が急浮上して空気が変わった。社会に漂う閉塞(へいそく)感が、多様な文化や人を受け入れない「排外主義」を目覚めさせたのかもしれない。
一部の外国人が不動産投機や無許可の観光開発をしたとか、社会保障や自動車免許制度の抜け穴を利用したとか、ネット上にあふれる「情報の断片」に触れると、不安がよぎる。
ただ、外国人との共生はとっくに現実が追い付いて、山陰両県でも多くの外国人が職を得て家庭を築いている。すべての人を排除しない「包摂」という言葉も定着した。日本に馴染(なじ)もうとする姿に好感こそ持てても、不都合はあまり感じない。
選挙期間中、地元企業経営者が言っていた。「この人手不足の時代に外国人を受け入れないと会社はやっていけない。福祉も農業も同じでは」。経営者が頼る「ミクロ経済」の視点では、外国人との共生は「当たり前」だ。
一方、物価高や格差社会への不満から閉塞感が増すのも当然の成り行き。国全体を俯瞰(ふかん)する「マクロ経済」は、弱者を切り捨てない視点が重要なのだが、ミクロ、マクロの経済が健全に機能すれば排外主義は育ちにくいのかもしれない。事態を動かすには政治の胆力が必要だ。選挙の余韻に浸っている場合ではないし、政争に費やす無駄な時間などどこにもない。(裕)