8月も残り4日。少なからずの人が思っていると思うが、今年ほど、季節感のない夏はなかったのではないか。新型コロナウイルスの感染が広がる中で過ごす2年目の夏▼花火など夏らしいイベントがコロナの影響で中止になったのに加え、猛暑、豪雨と身構えてばかりで、時がたつのが一層早く感じる。「命を守る行動を」というアナウンスが耳から離れない▼気象予報の技術や見せ方の進歩で、迫る危機が可視化された。とめどなく雨雲が流れ込む「線状降水帯」の発生を伝えるテレビやパソコンの画面をにらみながら次の動きを考える。情報の活用の仕方が問われる時代だ。技術の行く先をとても想像できないが、おそらくAI(人工知能)による気象予報は、これからさらに精緻なものになるだろう▼予報と言えば、コロナでも、大まかな感染者の増減予測といった程度から、人口の多少にかかわらず、危険な地域や感染が発生しそうな日や時間帯をあらかじめ指摘し、予防行動を促す「感染予報」なるものが一般化するだろうか▼安全安心の確保のために求められる情報だ。より確かなものが知りたい。ただ、知り過ぎた故に何もできない、どこへも行けないような世の中になってはいけないとも思う。結局のところ、天候にしても、新たな感染症にしても「いい塩梅(あんばい)に収まってくれ」と、ただひたすらに手を合わせるしかないのだろうか。(万)