2004年アテネパラリンピックで金メダルを獲得してほほ笑む成田真由美さん
2004年アテネパラリンピックで金メダルを獲得してほほ笑む成田真由美さん

 競泳女子のパラリンピック6大会で計20個のメダルに輝き、「水の女王」と呼ばれた成田真由美さんが5日に亡くなった。享年55歳。下半身まひによる車いす生活の中、競技を始めたのは23歳の時。金メダル6個を獲得したシドニー大会の翌年、あの柔らかい笑顔に接した。

 成田さんは当時30歳。男子視覚障害クラス2冠の河合純一さんら、同大会の競泳日本代表のチームメートと共に出雲市を訪問。代表の一員で島根県から初のパラ五輪出場を果たした浜村敏弘さん(70)=出雲市知井宮町=の地元で、水泳教室や講演会を通じて子どもたちと触れ合った。

 選手十数人が1人ずつマイクを握った講演会で、成田さんはこんな言葉を残した。「メダルを取るまでの過程に目を向けてほしい。小中学生の皆さんは日々、目標を持って努力して」。

 はた目には、金メダル7個を獲得した、その後のアテネ大会が選手時代の絶頂期だったのかもしれない。しかし、最後の舞台となった4年前の東京大会で6位入賞の女子50メートル背泳ぎのタイム(47秒86)は、2連覇を果たしたアテネ(49秒54)を上回った。

 浜村さんはシドニーの選手村で隣室だった。自身のいびきで悩ませた記憶とともに思い出すのが、朝のチューブトレーニングで始まる成田さんの人一倍の練習量。「お手本だった」。メダルの数でなく「挑戦」する姿勢こそ真骨頂。後進がその背を追い新たな熱気を生む。(吉)