期間を指定
~

1,107件

【写真特集】四季の移ろいとともに駆け抜けた奥出雲おろち号

1998年にJR木次線で走り始めたトロッコ列車・奥出雲おろち号が23日、運行を終えた。26年間、乗客の笑顔と沿線住民の見送り、四季の移ろいとともに駆け抜けた歴史に幕を下ろした。  春、夏、秋の季節ごとの奥出雲おろち号の姿を写真で紹介する。 〈おすすめ記事〉 ・撮り鉄記者の「おろち号」への熱い思いと木次線の将来 乗客が少ないからこそ、他にない光るものが(Sデジオリジナル記事) ・【動画と写真】ありがとう!奥出雲おろち号 多くの人に見送られ最終運行 ・「楽しい思い出をたくさんありがとう」 沿線住民ら 忘れられない1日     春     ヘッドマークが取り付け中られ、4月1日の運行開始を待つ奥出雲おろち号=米子市目久美町、JR後藤総合車両所運用検修センター ヘッドマークが取り付け中られ、4月1日の運行開始を待つ奥出雲おろち号=米子市目久美町、JR後藤総合車両所運用検修センター ヘッドマークが取り付け中られ、4月1日の運行開始を待つ奥出雲おろち号=米子市目久美町、JR後藤総合車両所運用検修センター 田植えを控えた水田に写り込む奥出雲おろち号=島根県奥出雲町馬馳 新緑を進む奥出雲おろち号=島根県奥出雲町八川 運行初日、JR木次駅から備後落合方面に向かう列車を見送る人々=雲南市木次町里方、JR木次駅 JR出雲坂根駅で焼き鳥などを買い求める乗客ら=島根県奥出雲町八川     夏  

撮り鉄記者の「おろち号」への熱い思いと木次線の将来 乗客が少ないからこそ、他にない光るものが

JR木次線を走る「奥出雲おろち号」が23日、26年間の歴史にピリオドを打った。ガラスのない開放的な車窓から大自然の風景が楽しめ、中国山地の急勾配克服を目的に設けられた「三段式スイッチバック」を行く観光列車として全国の観光客や鉄道ファンに知られる存在だった。幼少期から鉄道が好きだった記者がおろち号の思い出を振り返りながら、利用者数低迷にあえぐ木次線の将来を考える。 (政経部・石倉俊直) [関連記事]奥出雲おろち号ラストラン 沿線住民や鉄道ファンに見送られ 【動画と写真】ありがとう!奥出雲おろち号 多くの人に見送られ最終運行  記者は小学校低学年だった1998年5月、運行開始間もない奥出雲おろち号を見たいと父にねだって、木次駅(雲南市木次町)から備後落合駅(広島県庄原市)まで車で追いかけた。JR発足から10年程度過ぎた当時は、古めかしく地味な国鉄時代の塗装の車両があちこちで走っていた中で、白と青、グレーで構成した銀河鉄道を思わせる神秘的な塗色のインパクトは強く、進行方向を変えながらスイッチバックをよじ登る姿も食い入るように眺めていた。 満開のサクラを見ながら走る奥出雲おろち号。窓のないトロッコ車両は国鉄時代の客車を改造したもので、当時の面影はほとんどない=島根県奥出雲町馬馳  90年代は嵯峨野観光鉄道(京都府)、釧路湿原ノロッコ号(北海道)、トロッコわたらせ渓谷号(群馬、栃木県)など、全国でガラス窓のないトロッコ列車の運行開始が相次いだ。いずれも風光明媚(めいび)なローカル線や廃線となった区間を活用して誕生し、地方鉄道の路線活性化の一翼として有効との認識が広まっていたように感じられた。  おろち号も例外でなく、沿線の人口減少や道路整備で、利用客が減少の一途をたどっていた木次線にとって、県内外から観光客が訪れるきっかけを作る「救世主」となった。当時の鉄道関連の雑誌やビデオでも、スイッチバックを