前回、本人がつづっていたが、「父」という存在をそばで見ていると非常に切なくなる。子2人が同時にぐずっているとき、母を占領したがる姉を優先し、弟は父に託すことが多い。だが、泣き声はやまないどころか増していく。おもちゃや絵本で気をそらそうとしても、ダメな時は、私が片手で姉を抱きつつ、もう片手で弟を受け取る。すると泣き声はピタリとやむ。面白いぐらいに。

 娘にも、食卓や車で「お母ちゃんの隣がいい!」と隣に座ることを拒絶されている父。あからさまに「母」を求める子らの態度には傷つくだろうし、子育てに参加したくても拒否されるのだから、むなしく、やるせなく、「いなくてもいいのか…」という気持ちになるのも分かる。

 なぜ子は母がいいのか。接する時間が長いからか、おっぱいがあるからか…、人間は本能的に「母」という存在を求めるものなのだろうか。その時、父はどうすればいいのだろう。

 私の現時点での答えは「母が心身ともに健康に子と向き合えるよう、母を支える」のが父の役割ではないか、ということだ。泣き叫ぶ子らが、涙と鼻水まみれで母の膝を取り合っている、まさに「この世の終わり」と感じる場面。何もできなくても、一緒に苦笑いしながら見ていてくれるだけで、直接的な解決にならないまでも救われた気持ちになる。

 反対に父が不在時、子2人が同時に泣き、収拾がつかなくなると、母のいら立ちを感じてか、子らもさらに泣く。それを後から「こんなに大変だった」と身ぶり手ぶりを交えて伝えても、もどかしさが募る。現場にいないと分からない泣き声の音量とか、汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった様子とか、絶望的な気持ちを完璧に伝え切ることはできないからだ。

 育児というと、抱っことか食事介助とか、じかに子と関わる仕事を思い浮かべがちだが、自我が芽生えると、関与が難しくなる場面も増える。最近は母子が寝静まった後、粛々と残った家事を片付けている父。目立たないが、立派に育児の「一翼」を担っていると感じる。本当に頼もしく、ありがたい。少なくとも今の私にとって父(夫)が「そこにいてくれる」ことが、大きな力になっている。母子が笑顔で向き合える環境を支える、という重要な任務を遂行しているわけだ。