数年前から超一流棋士たちが囲碁AI(人工知能)に勝てなくなり、愛好者として悔しかったが、それだけでは済まなくなった。幕末の棋聖・本因坊秀策が打った「耳赤の一手」は本当に妙手なのか、AIで調べる本が出版され、怖いもの見たさで購入した▼打たれた側が動揺して耳を赤くしたという逸話が耳赤の由来。中盤戦で四方をにらむように中央付近に放たれ、名前とともに記憶に残る一手だが、AIが同一局面で示したのは拍子抜けするぐらい普通の手だった▼この人の手はどう映るのだろう。先日、引退を発表した大竹英雄名誉碁聖(79)である。剛腕、殺し屋、カミソリなど勇猛な異名を持つ棋士が多い中で、石の形の美しさと芸術性を追究する棋風は「大竹美学」と呼ばれ、勝敗を超えて高く評価された▼すぐには狙いが判然としないゆっくりした手を重ね、相手にしばしば「気持ち良く打てたのに、気付いたらなぜか負けていた」と言わしめた。意味深長な手の数々をAIが「ぬるい」と判断したら味気ない▼強さが絶対的な価値となる囲碁では、今や最強のAIの見解は重視される。果たして囲碁に限った話だろうか。いつしかユリウス・カエサルや諸葛孔明といった英雄の生きざまや時々の選択も、同時代のデータを大量に詰め込んだAIで、善悪が結論付けられるかもしれない。いや、私たちの日々の行いもまた、「悪手」などと…。(板)