暦の上では春だが、2月の寒さはまだ厳しい。幸田文は、ものの音で寒さや冷たさがわかる、とエッセー集『雀(すずめ)の手帖(てちょう)』に記す。一例が牛乳瓶の触れ合う音。「カリカリカチカチ」と聞こえた2月上旬から「からんからんちろんちろん」に変わる下旬は、「ん」の分だけ空気が緩むという▼そんな幸田作品に時折触れたくなる。木々や花に加え気配で季節を捉える感覚が、食べ物の旬も時季に合った暮らしも曖昧な現代で、五感を磨く教科書になるからだ▼季節の移り変わりを見るのが好きで習慣になっていた文の原体験は、父露伴と母の死去。玩具の少ない時代、露伴は目の前の全てから、美しさや面白さを見つけることを文に教えた。絶えず移ろう季節との付き合いは、自然と前向きになる効用があり「不幸を下敷きに一人で季節を楽しむ幸せを得た」と別の著書に記す▼足元にも及ばないが、季節には敏感でありたいと常々思っている。原体験は小学生時代。3、4年時の担任が季節の変わり目を見つけに行こうと呼び掛け、校外の森へ連れ出した。級友が思い思いの春や秋を担任に見せるのだ。ヒメウズの花や落ち葉…。何を差し出したか覚えてないが、心に残る授業は人生の礎になっている▼新型コロナを巡り、島根県の「まん延防止等重点措置」の解除が決まった。感染に気を付けながら外に出よう。庭先で通勤路で小さな春を見つけたい。(衣)