鳴かぬなら<殺してしまえ><鳴かせてみよう><鳴くまで待とう>。ホトトギスの初音(はつね)を詠んだ織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3天下人の句は、リーダーのタイプによく例えられる。信長は短気で気性が激しく、秀吉は工夫を施してなせば成ると強気。我慢強い家康は「急(せ)いては事を仕損じる」と長期戦にしたたか▼演芸作家織田正吉さんの著書『笑いのこころ ユーモアのセンス』によると、これらの句が有名になったのは、ある句を引き立たせるための「前置き」に利用されたのが発端だったらしい▼それが<鳴かぬなら鳴かぬのもよしほととぎす>。室町時代の連歌師、里村紹巴(じょうは)が詠んだ。これを江戸後期、文筆に手足(てだ)れの町奉行がまとめた雑談集で伝えたのが「前置き説」の素性という▼<鳴かぬなら鳴くよう検討したいホトトギス>。岸田文雄首相の発言をホトトギスへの思いになぞらえるなら、こんな出来上がりになるか。最近の国会答弁などで「検討したい」を連発する▼攻めても攻めても「糠(ぬか)に釘(くぎ)」と業を煮やした野党は「ミスター検討」と首相を揶揄(やゆ)し、ネット上では「検討おじさん」の指摘も。5年近く務めた外務相時代は「注視したい」を繰り返していた。「検討」も「注視」も、取りあえず何もしないとの言い換えでもある。「聞く力」を自認し、人柄は真面目。しかし、同じ言葉の繰り返しでは国民は耳にたこができる。(前)