自動車、電機、鉄鋼など主要メーカーの春闘は、労働組合の要求に満額で回答する企業が相次いだ。新型コロナウイルスに苦しんだ昨年に比べ、賃上げ水準は底上げされた。約20年間にわたり、ほぼ横ばいが続いてきた国内の賃金が上昇に転じれば、日本経済が再浮揚する出発点になる。

 政府や大企業は下請け企業や地方の賃金改善を後押しし、官民一体で「賃金が上がる社会」への転換を目指してほしい。

 日本製鉄は基本給を引き上げる2年間のベースアップ(ベア)を回答した。高炉休止を含むリストラで収益力を高めた成果だろう。トヨタ自動車も当初から賃上げに前向きな姿勢を見せ、集中回答日より1週間早く満額で妥結し、日産自動車、ホンダも続いた。

 労使交渉が本格化する時期にロシアがウクライナに侵攻し、日米欧はかつてなく厳しい経済制裁に踏み切った。ただ、資源企業や商社を除けば、ロシアに大規模な投資をしている企業はそう多くない。戦争が続くことへの不安は消えないが、労使とも冷静に対応し、賃上げの方向を導き出したと言える。

 新型コロナによる海外工場の停止や物流の混乱は、世界的な物価上昇をもたらした。ロシアの資源や農産物は輸出が難しくなり、値上げはさらに広がるはずだ。

 しかし日本の場合、物価上昇の幅はまだ限られている。賃金を抑制してまで物価を抑えるような状況ではない。むしろ賃上げを怠れば、物価高騰による生活への圧迫感が強まり、消費に悪影響が生じかねない。

 もちろん春闘の賃上げだけで、家計の消費が上向いていくと考えるのは早計だ。今後は名目賃金から物価上昇分を差し引いた実質賃金に目配りする必要がある。

 景気悪化や金融危機に備え、利益を内部に蓄えておきたいと考える経営者は多い。好業績の企業が利益剰余金などの内部留保を膨らませてきたことは、経営や雇用を安定させた半面、設備投資や消費が勢いを欠く一因にもなってきた。

 その一方で、利益の使い道として、株価を引き上げるための自社株買いや株主への配当を優先してきた経営者も多かった。企業の所有者が株主であり、株主総会には経営者を交代させる権限があるのも間違いない。だが、どんな事業も従業員、取引先、顧客がいて初めて成り立つ。株主だけに偏った利益配分は見直さねばならない。

 特に、下請け企業との関係は見逃せない。製造コストの削減や生産効率化によって生まれた利益は、発注先の企業が吸い上げるのではなく、できるだけ下請け側に残すべきだ。政府は独占禁止法を厳格に運用することで中小企業を守り、賃上げしやすい環境をつくる必要がある。

 女性、高齢者の賃金や労働環境を改善する課題も残っている。働く女性が増えるような制度改正はなかなか進まない。労組の組織率は20%を下回り、非正規社員まで十分に手が届いていない。

 社員一律の賃上げはもう過去のものになりつつある。経営者が中堅・若手社員の賃金の原資を増やすことが、家計の消費意欲を高めることにつながる。「新しい資本主義」による格差是正を唱える岸田文雄首相は、持続的で幅広い賃上げなしに目標は実現できないことを肝に銘じてほしい。