ちょうど1カ月前の本紙で掲載した、写真家で冒険家の石川直樹さん(44)のインタビューを読み、現代の冒険とは何か、を考えさせられた▼冒険は成功するか分からないことをあえて行うこと、と定義される。19世紀から20世紀にかけて世界はまさに冒険の時代だった。石川さんが経験した8千メートル峰や極地への旅も、装備が充実していない時代はまさに命懸けであっただろう。今は民間人が行けるようになったが、大国が競うように宇宙を目指したのも究極の冒険だ▼冒険に良い悪いはないと思う。例えば、極地に向かう時に命を落としても、単純に失敗だったとは言い切れない。8世紀に仏教伝来を目的に中国から日本に渡った鑑真和上は、12年間にわたり5度も渡航に失敗した後、6度目でようやく上陸を果たした▼心を打たれるのは、苦労の末に願いが成就したからということもあるが、既に高僧の立場にあるのに、ほとんど未知の日本になぜ行かねばならないのか、誰もが首をかしげる中で「不惜(ふしゃく)身命(しんみょう)」の言葉を残した、そのプロセスにある▼地図上の空白はないといわれる21世紀、石川さんは生まれた場所をもう一度見直したいと、コロナ禍の東京を歩く。そして、もう一人足元で踏ん張る冒険家と言える人がいる。ロシアのウクライナ侵攻で陰湿な言論の統制が敷かれる中、モスクワのテレビ局で反戦のプラカードを掲げた、あの女性である。(万)