長年育てたサボテンと並ぶ野田剛さん=安来市東赤江町
長年育てたサボテンと並ぶ野田剛さん=安来市東赤江町

 子どもの背丈ほどもある大きなサボテンが100体以上、安来市のビニールハウス内に並び、通行する車や歩行者から注目されている。サボテンをなぜ育てているのか、持ち主に話を聞いた。(Sデジ編集部・吉野仁士)

 

 ハウスは国道9号からディスカウントショップ「ラ・ムー」(安来市飯島町)横に入る道を、約1キロ直進した場所にある。巨大サボテンを育てているのは安来市東赤江町の農業、野田剛さん(66)。日ごろはコメや柿、イチゴを栽培している。島根県立松江農林高校の園芸科に入学した時、級友と「何か変わったものを育てよう」と自宅前のハウス(60平方メートル)でサボテンを育てたのが始まり。育てて50年以上になる。

 品種の多くは「サボテンの王様」と呼ばれる、球体の全面に黄色いとげが多数付いたキンシャチ(タマサボテン属)。野田さんは「サボテンといえば花がきれいだと言われがちだが、(自分は)形やとげが格好良くて好き」と育てる魅力を話した。

ビニールハウス内に並ぶ巨大なキンシャチ。野田さんは「数年前までは抱えて植え替えられる大きさだったが、今ではとても無理」と笑う

 野田さんに案内され、農道沿いにある2棟のハウス(各80平方メートル)内に足を踏み入れると、地植えの丸々としたサボテン約100体が所狭しと並び、異国に来たような光景が広がっていた。大きいものは1体で高さ80センチ、直径60センチほど。成長に伴ってできた子株と結合し、10体以上のサボテンが一体になったものもある。野田さんは自宅前のハウスでもサボテンを育てていて、すべて合わせると約250体に上るという。

中には成長するにつれて子株と一体になったものも。もはや小さい子どもよりも大きい

 視察で全国のサボテン農園を訪れる島根サボテン多肉の会によると、国内では、キンシャチで野田さん宅ほどの大きさと数がある農園は他にないという。

 

 ▼育成の秘けつは「かわいがらない」こと?

 野田さんが高校生の頃から育てたサボテンは、人間で言えば50歳以上になる。サボテンは生命力が強いというが、どうやってここまで育てたのか。

 野田さんは「多くの人から世話が大変そうだと言われるが、全然そんなことはない。むしろ、世話を焼き過ぎるとかえってよくない」と育てるこつを話した。

サボテンの育て方について説明する野田さん。サボテンは手を掛けすぎるとかえって成長しにくくなるため「大ざっぱな性格の自分に合っていた」という

 野田さんがサボテンに水をやるのは年5、6回。気温が高い4~8月は月に1、2回水をやるが、冬は全く世話をしない。サボテンは乾燥に強く、水を蓄えられるため、野田さんは「普段から水をやり過ぎると、蓄えた水で根が腐ってしまう。かわいがり過ぎたらだめ。普通の花と同じつもりで育てると失敗する」と力説した。

 地植えにするのが大きく育つ要因の一つ。鉢植えだと、サボテンが成長し、子株が大きくなっても鉢に圧迫されて成長が止まるという。ただ、野田さんも植えた当時、ここまで成長するとは思わず「大きすぎて、もう別の場所に植え替えられない。あとの世話は子どもたちに任せようか」と笑った。

野田さんが最初に育てたサボテンたち。今では花壇いっぱいに成長し、文字通り、足の踏み場も無い

 ▼サボテンは「家族と同じ」

 50年以上、ともに生きてきたサボテンは野田さんにとって家族と同じ。

 高校生で育て始めた時は多様なサボテンを選んだ。大学4年の頃、父親が病気になり、寝たきりに。家を支えようと、父が営んでいた農業に集中し、サボテンはほとんど手を付けなかった。2、3年がたち、農業が落ち着いた頃、サボテンは多くが枯れたが、キンシャチは成長を続けていたという。

 サボテンの世話をするようになって10年後の34歳の時、妻を病気で亡くした。当時、子ども3人は0歳、3歳、5歳。養うために再び農業に精を出し、サボテンを3、4年ほど放置した。その時も、全てのサボテンが枯れることはなかった。

自身が高校生の頃から育てるサボテンとの関係は、子どもたちや亡くなった妻よりも長い。もはや家族のような特別な存在だ

 野田さんは「人生で苦しい時、いつもサボテンがいてくれたことに気付いた。つらい時を一緒に乗り越えてきた仲間のような存在」と振り返る。この時、サボテンの本当の魅力に気付き、生き残ったキンシャチを中心に、新たにサボテンの種をまいて育てることを決意した。

 

 ▼県外からも見物客続々

 育てる打ちにサボテンは順調に大きくなり、自宅前のハウスを見掛けた通行人から珍しがられることが増えた。10年前、サボテンの成長に伴って植え替える際に「どうせならもっと人に見てもらえる場所に」と思い立ち、自宅横の農道沿いに現在のサボテンハウスを作った。

 農道沿いにサボテンを移してから、ハウス近くで農作業中、通行人に声を掛けられる機会が格段に増えたという。農道は安来市の「なかうみマラソン全国大会」のウオーキングコースの一部で、サボテンは地域の名所になった。

 園芸愛好家だという千葉県の50代夫婦が訪れ「米子市内の園芸店で、ここに大きなサボテンがあると聞いて来た。譲ってもらいたい」と言われたという。その後も「うわさを聞いて来た」と県外から訪れる人がおり、野田さんは「一緒に生きてきたサボテンが地元以外でも知られているのはうれしい」と喜ぶ。

ビニールハウス内には休憩用の椅子と机が設置されている。近くには都合よく自販機も。野田さんによると、いつ誰が利用してもかまわないという

 農道沿いのハウス2棟は出入り自由。中には椅子と机が置かれ、近くには自販機があり、休憩できる。サボテン栽培に興味がある人は、野田さんに声を掛ければ種を譲ってくれるそうだ。

 サボテンの今後について、野田さんは「あまり譲りたくはないが、どうしてもという人がいれば譲る。自称『国内一の珍しいサボテン』なので、自分が世話できなくなったらとっとり花回廊(鳥取県南部町鶴田)に寄贈だな」と豪快に笑った。