安来市が2015年度から7年がかりで進めた国史跡・月山富田城跡(安来市広瀬町広瀬)の整備事業が完了した。戦国大名・尼子氏の本拠地で難攻不落の山城として名高いが、恥ずかしながら記者は今回の取材が初めての訪問。城跡を覆う樹木が伐採されて存在感を増し、ガイダンス機能も高まった城跡を訪ね、魅力に触れた。(安来支局長・桝井映志)

 城跡のそばにある市立歴史資料館にはコーナーが新設され、特徴や見どころを伝える。17世紀初めの姿を再現した2・4メートル×2・4メートルのジオラマ模型(600分の1)を見ると、難攻不落ぶりがよく分かる。

月山富田城跡のジオラマ模型などが並ぶ展示コーナー=安来市広瀬町広瀬、市立歴史資料館


 飯梨川そばの月山(約190メートル)に築かれ、本丸などがある山頂部の南側や西側は到底、兵が登れそうにない急傾斜地。攻め手は北側の中谷、菅谷という二つの谷から侵入することになるが、二つの谷を見下ろす尾根には「郭(くるわ)」と呼ぶ平たん地が多数あり、郭にいる城兵から矢を射かけられたり石を落とされたりして前進は困難だっただろう。

 そこで記者は、資料館そばの登山口から強行突破してすぐ近くの郭「千畳平(せんじょうひら)」に上がり、尾根伝いに次々と郭を撃破したと想定して「山中御殿平(さんちゅうごてんひら)」まで到達。ところが、その先は山頂部に続く急傾斜でつづら折りの登山道「七曲(ななまが)り」(延長314メートル)があった。

山頂部に続く難所「七曲り」はコンクリート製の階段が整備され、歩きやすくなった=安来市広瀬町広瀬、月山富田城跡


 コンクリート製の階段が整備され、歩きやすくなったとはいえ、ここに至るまでに所々の郭に惑わされて道に迷い、日頃の運動不足で既に息が上がっていた記者は、ここでギブアップ。

 帰りは「大土塁」に立ち寄り、中谷から下った。土で築いた壁で、城跡の内側から見ると高さは最大7メートルほどらしいが、攻め手が直面する外側は20メートル近い急斜面だという。樹木が伐採された内側と違い、外側はやぶでよく見えなかったが、高さは感じた。攻め手にとっては絶壁のように...