全日本吹奏楽コンクール全国大会などのトロフィーが並ぶ教室で合奏練習をする生徒たち=出雲市大津町、市立第一中学校
全日本吹奏楽コンクール全国大会などのトロフィーが並ぶ教室で合奏練習をする生徒たち=出雲市大津町、市立第一中学校

 「『絶対に全国大会に行く』という思いは同じだった。厳しい指導にも『何くそ、頑張るぞ』と反発心を力に変えてくれた」

 14年間で全国大会出場10度。出雲高校(出雲市今市町)の吹奏楽部で顧問を務めた森脇治夫さん(71)=出雲市西平田町=が教え子たちの姿をまぶたに浮かべ、目尻を下げた。

 30代で、既に全日本吹奏楽コンクールなど全国大会の常連校だったバンドを引き継いだ。「結果が全て。勝たないといけない」という重圧に部員と共に打ち勝ち、1年目から目標を果たした。マーチングでも実績を重ね、「憧れの部活動」になった。

 うまい人たちと一緒にホルンを吹きたい-。出雲市立第一中学校(出雲市大津町)の吹奏楽部顧問、坂根伸哉さん(43)は全国レベルの出雲高へ、旧湖陵町(現出雲市湖陵町)の湖陵中から進学した。

 旧市内から集まった同級生に対し「負けてたまるか」と燃え、森脇さんの指導で練習に打ち込む日々。2年時に全国大会に出場し、音楽教師を目指そうと決めた。そして、昨年から、市内のもう一つの伝統校・出雲一中で指揮を執っている。

▼金賞最多誇る

 1957年創部の出雲一中吹奏楽部は昨年10月、全日本吹奏楽コンクール全国大会に7大会連続48度目の出場を果たした。出場回数とともに、金賞獲得22回は全国最多を誇る。

 音楽教師で、経済人らが地域の音楽振興のため発足させた「出雲音楽協会」の理事も務めた片寄哲夫さん(2022年4月死去)が立ち上げた。間もなく全日本吹奏楽コンクール全国大会に続けて出場するようになった。67年には全国の頂点に立った。

 部員たちは地元で開かれた「凱旋(がいせん)コンサート」であらためて音楽の楽しさを伝え、市民には誇りを抱かせた。当時平田中生だった森脇さんも「すごい」と刺激を受けた一人だった。「一緒に演奏したい」と、一中卒業生も多い出雲高に進み、共に全国を目指した。

 刺激の連鎖は市内の吹奏楽熱を高めた。生徒は「絶対に全国へ」と切磋琢磨(せっさたくま)。他の中学、高校も力を付け、90年代から2000年代にかけて「どこが全国大会に行ってもおかしくない」(森脇さん)という時代を迎えた。

 1991年に私立出雲北陵高校(出雲市西林木町)で山陰両県唯一の普通科音楽コースができたのもこうした素地があったからこそで、声楽や器楽演奏を学ぶコースに広島、山口など県外からも入学者がある。

 2005年に旧出雲市が創設した「出雲芸術アカデミー」もそう。オーケストラ奏者の養成、音楽に親しめる環境づくりなど取り組みは幅広い。芸術監督の中井章徳さん(46)は「さらに仲間を増やしたい」とし、「音楽のまち」の将来を見据える。

▼先輩から後輩へ

 6月28日夕、出雲一中吹奏楽部の練習場では約50人がクラリネット、トランペット、トロンボーンなどそれぞれの楽器を手に基礎合奏を繰り返していた。

 棚にびっしり並ぶ全国大会のトロフィーや盾。楽器の響きに負けない、ピンと張った空気も「一中のライバルは一中」という言葉を思い起こさせる。

 「音の始まりに気を付けましょう」「和音を合わせるようにしてください」。コンサートマスター役の部員が指揮台から指示を飛ばす。パートごとに振り返り、先輩から後輩へ、指遣いや音の出し方が伝えられる。

 人格、学業、技術-。初代顧問の片寄さん作の部訓が、佐野優衣部長(14)=3年=の頭にはいつもある。「全国大会へ行かないといけないというプレッシャーは大きいが、同じ思いを持つみんながいるから頑張れる」。伝統はこうして受け継がれていく。

 (月森かな子)