あの時も何とも言えない重たい空気が国会周辺を支配していた。第1次安倍晋三内閣時代の2007年4月。長崎市長選で選挙運動中だった現職市長が狙撃され死亡した▼取材相手だった当時の山陰両県選出国会議員に加え、最高権力者であり警護対象だった安倍氏も「許すことはできない」と語気を強めた。後に自らが撃たれることになろうとは。本当に言葉もない▼12年12月から7年8カ月にわたる2度目の政権のかじ取りでは、防衛やマクロ経済政策などで賛否両論があったが、最も印象に残っているのが、14年6月に訪れた山陰の地で初めて「地方創生」を宣言したことだ▼安倍氏の衆院選挙区・山口4区は長門市など山陰側も含まれる。12年の自民党総裁選で競い合った好敵手の石破茂氏(鳥取1区)を初代の地方創生担当相に据え、亡き兄・竹下登元首相の「ふるさと創生」の遺志を継いだ亘氏(島根2区、故人)らと共に日本海国土軸の守り人であった。21世紀初頭に登場し、公共事業費を大幅に削減した小泉純一郎内閣以降、半ば実現が難しいと思われた島根・山口県境の山陰道整備へ道筋が付いたのは、安倍官邸の後押しがあったと記憶する▼まずは故人の冥福を、そして、きょう投票日を迎えた参院選が滞りなく執行されることを祈る。暴力ではなく、言論によって意思表示して物事を決められることに思いを致し、1票を投じに行こう。(万)