浜田との決勝でナインに指示を出す飯南の来田良博監督(手前)=松江市上乃木10丁目、松江市営野球場
浜田との決勝でナインに指示を出す飯南の来田良博監督(手前)=松江市上乃木10丁目、松江市営野球場

 28日にあった夏の高校野球島根大会決勝で、来田良博監督(60)=浜田高出身=率いる飯南が創部以来、初の決勝戦に臨んだ。浜田との決勝は三刀屋の監督として臨んだ1998年夏以来。再び立ちはだかった「母校の壁」を破れなかったが「飯南らしさを発揮できた」と快進撃を続けたナインをたたえた。

 ゲームセットの瞬間、指揮官は表情を崩さず、わずかにうつむいた。歓喜する浜田ナインと対照的に泣き崩れる教え子。双方に穏やかな視線を向けた後、ゆっくりとグラウンドに出た。

 来田監督は高校3年時の1980年、夏の県大会で16打数13安打(5試合)の打棒で浜田を2年連続の聖地に導いた。8割1分3厘の打率は県野球関係者の間で語り草となっている。

 母校に赴任し、監督として93年秋の県大会で優勝。三刀屋、出雲、松江北でも采配を振るった。定年退職に伴い教員最終年の今夏は守りと終盤に畳みかける打撃で「飯南旋風」を巻き起こした。

 決勝の相手先発は、かつて敗れた和田毅投手=現・プロ野球ソフトバンクホークス=を思い出させる2桁の背番号を付けた左腕。「リベンジを」と臨み、6点を追う二回の好機に犠打を命じるなど勝負への執念をみせ、ナインを「球場の8割はおまえたちの応援だ」と鼓舞し続けた。

 序盤で主戦を欠きながらも健闘した選手。「一戦一戦、強くなってくれた」と教育者としても成長を喜んだ。定年退職後も監督は続けるつもりだ。グラウンドに厳しい視線を送り続けた表情に充実感を漂わせつつ、再始動を期した。

     (佐々木一全)