甲冑をまとい、要害山を行進する子どもたち=5月29日、島根県奥出雲町三沢
甲冑をまとい、要害山を行進する子どもたち=5月29日、島根県奥出雲町三沢

 山頂から見渡すと、山々が中国山地へと連なるように続く。遠方まで一望できる地で築城したのもうなずける。毎年、地元の小学生が甲冑(かっちゅう)姿で歩き、親しまれている島根県奥出雲町三沢地区にある要害山(418・5メートル)のこと▼かつて三沢氏が城を構え、動乱の時代の一幕を飾った。その三沢城は月山富田城(安来市広瀬町)を本拠地とした尼子氏の支城「尼子十旗」の一つとして知られるが、当初三沢氏は尼子と敵対する有力国人だった▼小説家・武内涼さんによるシリーズ『謀聖 尼子経久伝』の「風雲の章」には、経久をして「知恵者」と言わしめた三沢為信が登場。軍門に下すべく策を巡らせる経久と、三沢一門との戦いが躍動的に描かれる▼要害山三沢城跡保存会の田部英年理事(81)によると、為信は5代為忠のおいで当主ではないという。だが、尼子に反抗し、出雲の国人たちとともに富田城を攻めた人物と伝わっており、「力は持っていた」と推察する。残る十旗には瀬戸山城(飯南町)や三刀屋尾崎城(雲南市三刀屋町)などがあり、根城とした国人を小説でどう書き表すかに期待が募る▼尼子は勢力拡大のため「戦い」という手段を採った。翻って現代に生きる我々は手を携えることができる。三沢城のように城下の住民が顕彰する城跡も多くある中、自治体の境界を越え、城を起点とした広域的な振興策を現代に生きる者の目線で考えたい。(目)