黄金に輝く稲穂と、唯一無二の田園風景をつくり出す築地松=出雲市斐川町三分市
黄金に輝く稲穂と、唯一無二の田園風景をつくり出す築地松=出雲市斐川町三分市

 サラサラッという音を立てながら、稲穂のじゅうたんが波打つ9月。実りの秋を迎えた。

 「一生懸命育ててきた通信簿がここにある」。旧出雲市北部の水田7・5ヘクタールでコシヒカリ、きぬむすめなどのコメ4品種を栽培する落合憲一さん(74)=出雲市常松町=の顔がほころぶ。

 10年前、土木関係の仕事を退職し、専業農家になった。この地で生まれ育ち、学校から帰宅し田んぼで友人とスズメを追い払う番をして過ごした当時も、今も、家の畑で収穫した野菜は近所で譲り合う。

▼農地の集約進む

 その一方で、担い手の高齢化に伴う離農、市中心部での農地転用が進み、田園風景は変わった。

 斐伊川や神戸川の下流部で堆積し先人の営みの上にできた土地に、一戸建てやアパートが建ち並び、そこに暮らす人の集積と土地を求めて出店した大型商業施設が田畑を見下ろす。

 黄金の稲穂は今なお豊かさの象徴だが、街は、農村と都市機能が「共存」。その分、買い物も、通院も、車ですぐの便利さがあり、落合さんは「非常に恵まれた地域。街と農地のバランスを大事につないでいくことが必要だ」と土地を守り続ける。

 出雲平野の大きく開けた土地は、守りやすいという利点もある。農地の集約化により大型機械の導入を含め農作業を効率化。離農により不足する担い手も、営農組織でカバーできる。

 島根県農業経営課によると、出雲市の農地集積率は、県平均の36・0%を大きく上回る56・9%で、市町村別でも最高。農地が斜面に張り付き、点在する山あいの集落と比べて恵まれた条件がある。

▼知恵と汗の結晶

 守り続けたい田園風景の象徴がある。

 暴れ川だった斐伊川の氾濫によってつくられてきた出雲平野の東部を中心に、青々とした壁のようにそびえ、家を囲む築地松(ついじまつ)。洪水があっても浸水しないように豪農屋敷が敷地を数メートル高くし、土を固めるため、水に強く、根がよく張るクロマツを植えたのが始まりとされ、一般農家にも広がった。江戸末期から明治初期にかけてのことだ。

 出雲市斐川町三分市の瀬崎勝正さん(81)の自宅にある、2階屋根を超える高さ10メートルの13本のうち、幹周り3・5メートルもある樹齢200年の巨木は、市内でも最大。ついたての上部が反り返ったようなシルエットは、柄の長い鎌を使った「陰手刈(のうてご)り」と呼ばれる伝統技術で、天端は高く、両端は斜めに刈り込まれている。

 同じような役割の屋敷林がある富山県の砺波(となみ)平野、岩手県の胆沢(いさわ)平野とともに「日本三大散居集落」に数えられる全国でも貴重な景観で、その中でも際立つ存在感。

 瀬崎さんは言う。「祖先から引き継がれた知恵と汗の結晶だ」

 こんな言い伝えがある。「陰手刈りで刈り取られたマツの枝葉は、かまどのたきつけに最適」-。陰手刈り職人の岡博之さん(54)=出雲市武志町=によると、出雲大社に祭られる大(おお)国(くに)主(ぬしの)命(みこと)にちなみ、「『だいこくさんのひげ』だと思って、大事に使え」とも言われてきた。

 県と市、住民代表でつくる築地松景観保全対策推進協議会の2020年の調査で、市内にある築地松は、1264戸、計1万182本だった。

 松枯れなどの影響もあり、1999年の3380戸、計2万2501本から激減する中、二科会写真部会員の佐々木聡さん(63)=同市上塩冶町=は「『出雲を守る』という姿が映し出される」と築地松を撮る。

 時代とともに農村の姿も、住民の暮らしも変わるが、見渡せば、守り伝えたい「唯一無二」の世界が広がっている。

 (松本直也)