静かに安倍晋三元首相を悼む環境にはなりそうにない。国会周辺を拠点に取材活動を続ける身にとって、首相官邸前で国葬に対する抗議活動を見るのは日常的な風景。実施前日のきのうも、出勤時に反対の声を張り上げる市民を見た▼岸田文雄首相が国葬の実施を表明したのは、安倍氏の死去から6日後の7月14日。当時は違和感はありながらも、非業の死を遂げた安倍氏を悼む雰囲気を感じていた▼ただ、同22日には国会審議を経ずに開催日や場所を閣議決定。根拠や費用の説明は後手に回り、共同通信社による17、18両日の世論調査でも67・2%が首相の説明に「納得できない」とし、前回から11・2ポイント増えた。説明不足による政治への不信感は明らかで、「丁寧に説明する」との首相の言葉は軽い▼国葬は1967年の吉田茂元首相以来、55年ぶり。同じく閣議決定した前例踏襲が通用しなかったのは、国民の安倍政権に対する評価が二分され、首相を退いてわずか2年足らずでの死去となったからではないか。多くが功績を実感できる状況にはない▼静かに悼む環境をつくり出せなかった政府の責任は重い。時代やその時々の状況に応じて実施に向けたプロセスは柔軟な見直しが必要だ。国会審議なのか、国民の納得が得られる明確な基準づくりなのか-。きょうの国葬後も議論を深めなければ、安倍政権で進んだ国民の分断に一層拍車がかかる。(吏)