ブラジルから立正大淞南高校(松江市大庭町)に野球留学している3年の興梠(こうろぎ)フェリペケンゾウ選手(18)が、米国で9月に開かれたU18世界大会にブラジル代表として出場した。大会を終えた興梠選手に話を聞き、在日ブラジル人の皆さんに活躍ぶりを伝えようと、母国語のポルトガル語で新聞を作ってみた。(Sデジ編集部・宍道香穂)

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 興梠選手はブラジル・サンパウロの出身。2021年4月、本格的に野球をするために立正大淞南高に入学した。今年夏の高校野球島根県大会ではホームランを打つなど活躍した。同じようにブラジルから野球留学している清水タデウ健次選手(19)=サルバドール出身=とともに、言葉や文化の違いを乗り越えながら力をつけた。

ともにブラジルから立正大淞南高に野球留学している興梠フェリペケンゾウ選手(右)と清水タデウ健次選手

 野球のU18ワールドカップは米国フロリダ州で9月9日から開かれた。大会にはブラジルや日本、米国、韓国など12カ国が出場。6カ国ずつ2グループに分けて総当たり戦をし、それぞれ上位3カ国ずつがリーグ戦へ進み競った。ブラジルは惜しくもグループトーナメントで勝ち上がれず、別のグループだった日本との対決はならなかった。

 興梠選手はアメリカに到着後、新型コロナの検査で陽性となってしまい療養しなければならなかった。5日間の療養後、検査で陰性が確認され14日、イタリアとの試合に出場できたという。
 打席には2回立ち、うち1回は犠牲フライを打って打点1を挙げた。試合はブラジルが5-2で勝ち、最終結果は過去最高の7位だった。優勝は米国、2位は台湾、日本は3位だった。興梠選手は「1試合でも戦えて良かった」と振り返った。

 ブラジル代表チームには昔からの知り合いも何人かいた。興梠選手以外のメンバーはコロナに感染せず試合に出場し「ケンゾウが試合に出られるように勝ち上がる」と、頼もしい言葉をかけてくれたという。準決勝にあたるスーパーラウンドに進むことはできなかったが、4位リーグの対イタリア戦には代表の一員として出場できた。興梠選手は「友人たちと野球をするのは気持ちが良かった」と話した。

 療養中はインターネット中継で仲間が戦う様子を見た。ブラジル人はあきらめが早く、リードされている試合で最後まで粘ることは少ないというが、南アフリカ、カナダと戦った2試合は最後まで粘って逆転勝ちした。興梠選手は「仲間が一生懸命、最後まで頑張っている姿を見て強さを感じた」と感慨深そうに話した。

ブラジル代表のユニホームを身にまとった興梠選手

 決勝や3位決定戦を間近で見ることもできた。興梠選手は「日本が優勝すると思っていたが、アメリカや中国、韓国も強かった。レベルが違う、みんな野球がうまいと思った」と感想を話した。甲子園で活躍した松尾汐恩選手(大阪桐蔭)や内海優太選手(広陵)らのプレーを初めて目の前で見て「あんなプレースタイルあるのかと驚いた」と、レベルの高い大会で感じた驚きを話した。

 日本で野球に打ち込んだ日々を振り返り、興梠選手は「人生の中で一番忘れられない1年になった。野球が好きなので、日本の野球を学べて良かった」と話した。ブラジルでは良くも悪くも自分のことだけを考えてプレーする文化があったと言い、他人のことを考え、チームとして強くなることを目指す日本の野球文化を学んだという。

 立正大淞南高校野球部の太田充監督は「プレースタイルには国民性が出やすい。最初は文化や価値観の違いに悩んだのではないかと思う。粘り強く戦うのは日本の持ち味。ブラジルと日本のプレースタイルから良い部分を組み合わせていってほしい」と興梠選手に期待を込めた。

 興梠選手は卒業後、アメリカの大学に進学したいと言い「アメリカでも野球を続けたい」と意気込む。ブラジル、日本、アメリカと3カ国の野球文化を学び「ブラジルに帰ったらアカデミーを作って、ほかの子に教えたい」と、将来の夢を教えてくれた。

打席に立つ興梠選手

▷ブラジル出身者に向け「ポルトガル語新聞」にしてみた
 ブラジル代表として世界大会で戦った興梠選手の活躍をぜひ在日するブラジル人の皆さんに伝えたいと強く思った。
 出雲市には約3700人のブラジル出身者がいる。Sデジ編集部はブラジル出身の人たちに母国語でニュースを伝えようと、6月22日「ブラジル出身者に地域の情報を!ポルトガル語新聞 作ってみた」を配信した。ブラジル出身で出雲市に住んでいる会社員・末原カルロスケンジさん(58)に手伝ってもらいながら、興梠選手や清水選手を紹介する「ポルトガル語新聞」を作った。
 前回に続く第2弾として、興梠選手の世界大会出場の記事を作りポルトガル語の新聞を作ってみた。翻訳は前回に引き続き、末原さんに手伝ってもらった。

ブラジル出身で、出雲市在住7年目の末原カルロスケンジさん

【ポルトガル語新聞】

紙面をタップするとPDFが開きます

▷日本語訳
 ブラジル・サンパウロ出身の興梠フェリペケンゾウさん(18)は野球に打ち込むため、松江市にある強豪校・立正大淞南高校に留学している。打撃が得意で、7月の島根県大会ではホームランを打つなど活躍した。

 興梠選手は9月、野球のU18ワールドカップにブラジル代表として出場した。12歳の時から世界大会に出場していて、ワールドカップは2回目。興梠選手は14日、イタリアとの試合で犠牲フライを打ち、1打点を取った。

 大会には12カ国が出場していて、ブラジルは過去最高の7位だった。チームには昔から知っている友人たちもいた。興梠選手は「小さい頃は体の大きさが同じくらいだったが、みんな自分よりも大きくなっていて驚いた」と話す。南アフリカやカナダと戦った試合では逆転して勝ち「最後まで一生懸命戦う仲間を見て、強いと思った」と話した。

 日本で過ごした1年半について興梠さんは「ほかの人のことを考えてプレーすることを学んだ。野球が好きなので、日本の野球を学べて良かった」と話した。卒業後はアメリカの大学に行き、野球を続けたいという。興梠さんは「将来はブラジルに野球のアカデミーを作り、自分が学んだことを教えたい」と、将来の夢を話した。

 立正大淞南高の太田充監督は「プレースタイルには国民性が出やすい。文化や価値観の違いで悩んだと思う。粘り強く戦うのは日本の持ち味。日本の野球文化を受け入れたことが、一番成長した部分だと思う」と、興梠選手をたたえた。

談笑する興梠選手(右)と太田監督

 言葉や文化が異なる日本で、価値観の違いを受け入れながら努力を重ねた興梠さん。素直で柔軟な姿勢にはブラジル人だけでなく、日本人も元気をもらえると感じた。