1957年の最終回は、個人的に目についた、いや耳についた何曲かを取り上げてみたい。
まずは英国のシンガー、ラス・ハミルトンが歌った「レインボー」から。この当時、英国発の曲がチャートインするということは、そんなに頻繁にあることではなかった。「レインボー」は、ピークで4位まで上昇し年間では41位にランクされたのだが、地元英国では実はシングルレコードのB面扱いで、A面の「ウィ・ウィル・メイク・ラヴ」が英国国内最高2位を記録するほどヒットした。どういうわけか米国では「レインボー」の方がヒットしたのだが、これには逸話があるらしい。米国でレコードがプレスされる際にA面とB面が逆さまになったということなのだが、これが意図的だったのかどうかは不明。
一つの曲を複数のアーティストが取り上げ、競作となるパターンは毎年の恒例行事のように出現するが、チャートインを巡って57年も3組の競作となった曲がある。タイトルは「ヤング・ラヴ」。歌ったのは、俳優兼歌手のタブ・ハンター、カントリーシンガーのソニー・ジェームス、そしてカナダのボーカルグループ、クルーカッツ。チャートの順位はハンターが4位、ジェームス8位、クルーカッツはピークで24位まで達したが、年間ランキングの50位以内に入ることはできなかった。
この曲のオリジナルは、実はこの3組の中の誰かではなく、リック・カーティというシンガー・ソングライターによって、前年に吹き込まれたものだった。曲は循環コードを使ったもので、典型的なポピュラーミュージックの作り。演奏もドラム、ベース、ギターのシンプルな構成が基本。イントロのスネアドラムやマラカスのリズムが「この曲、ちょっと聞いてみようか」という気にさせる。オリジナルのリック・カーティ盤がさほどヒットしなかったのは、イントロからエンディングまで変化に乏しく、歌も演奏もあまりにシンプルすぎたからではなかったか。他の3組のアレンジは、演奏の基本構成に加えて厚い男性コーラスが加えらるなどして、それぞれ印象的なサウンドに仕上がっている。個人的には年間ではランク外になったクルーカッツ盤を気に入っている。
われわれ日本人にとってなじみ深いタイトルを2曲紹介してみたい。一つは、エヴァリー・ブラザーズが歌って11位になった「バイ・バイ・ラヴ」、もう一つはポール・アンカが歌い、24位にランクされた「ダイアナ」だ。
「バイ・バイ・ラヴ」はエヴァリー・ブラザーズの自作自演で、どこか伝統的なカントリー風味を感じる。この曲は70年になってサイモンとガーファンクルのカバーでリバイバル・ヒットした。この曲の特徴はコーラス(サビ)の部分がヴァース(Aメロ)よりも先に歌われるというところにあり、エヴァリー・ブラザーズは、このコーラスの部分だけをハモっていたが、サイモンとガーファンクルはヴァースを含め徹頭徹尾ハモリで通している。ちなみにエヴァリー・ブラザーズは、19位にも「ウェイク・アップ・リトル・スージー(邦題:起きろよスージー)」がチャートインした。
「ダイアナ」は、わが国では山下敬二郎さんの歌唱でヒットしたし、他にも多くの男性歌手がこの曲を取り上げていたので、われわれの世代以上の人間にとっては懐かしいヒットナンバーだ。ビルボードで年間24位というのは意外に低い感じで、もっと上位だったのでは?と思ってしまうが、そこはきちんと集計した結果なのだろう。この曲も循環コードで作られていてヴァース1、2ともに全く同じコード進行で作られている。
一般的にはあまり知られていないかもしれないが、この曲はポール・アンカ自身が作ったもの。ポール・アンカをはじめ、この当時は専業のソングライター以外にも自ら書き上げた曲を歌うアーティスト、つまりシンガー・ソングライターが多く存在していて、自作のレコード化に積極的に取り組んでいた。57年は、筆者の知るところでは、エヴァリー・ブラザーズとポール・アンカのほか、13位「パーティー・ドール」のバディ・ノックス、17位「ア・ホワイト・スポーツコート」のマーティー・ロビンス、22位「スクール・デイズ」のチェック・ベリー、38位「アイム・ウォーキング」のファッツ・ドミノ、43位「ショート・ファット・ファニー」のラリー・ウィリアム、が該当するが、この傾向は58年にはますます顕著になってくる。
(オールディーズK)