喜劇王の心を動かしたのは天ぷらだった。1932年6月に来日したチャップリンが帰米する際に日本郵船の「氷川丸」を選んだ逸話だ。30年に太平洋航路に就航し、60年に引退した同船は、戦前に建造された日本の貨客船で唯一現存しており、山下公園(横浜市)に係留された船の中を見学できる。先日、東京出張の折に足を延ばした▼チャップリンが東京・日本橋の「花長」のエビ天が大好物と知った日本郵船は、氷川丸の料理人を同店に修業に行かせ、喜劇王の乗船を切望した複数の海運会社との競争に勝った。営業努力が実り、氷川丸は箔(はく)が付いたということだろう▼ところで氷川丸の船名の由来は武蔵国一宮の氷川神社。当時「優秀船」と呼ばれた船舶には神社の名前が付けられたそうだが、少なからぬ縁を感じた▼さいたま市にある同神社は約2千年前、出雲族の兄多毛比命(えたもひのみこと)が武蔵国造となり奉斎したとされ、神社名は出雲を流れる斐伊川に由来するとの説がある。戦中は海軍の病院船、戦後は引き揚げ船としても活用された氷川丸の神棚には氷川神社の祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)など出雲の神三柱が祭られ、多くの航海を守った▼チャップリンはそんなことは知らなかっただろうが、氷川丸をはじめ各所に残る古代出雲の痕跡は出雲人の心をくすぐる。ただそれだけでいいのか。人の往来が復活した今、地域振興につなげられないかと考え、船を下りた。(衣)