サソリは炎に囲まれると苦痛から逃れるため、自分に毒針を刺して死を選ぶ-。世界で親しまれる昆虫記の著者で、今年が生誕200年のファーブルが生きた時代、欧州にそんな説があった。それならサソリは「死」を知っていることになる▼ファーブルがおかしいと思い実験すると、サソリはただ気絶した。天敵を前に死んだふりをする動物も催眠状態に陥っているだけで、死を理解するのは人間以外にいないと強調。昆虫記でそんな人間の特性を掲げ突如、孔子の言葉を引用し、読者を励ました。「人は最大の悲しみから、最大の喜びに、最悪の不幸から、最大の幸福に移ることができる」▼虫の「擬人化」や、昆虫記を読み進めると膨大な研究結果とともに垣間見える博学、文学性、叙情性は、かえって感情移入が過ぎると研究者にさげすまれる要因になった。でも、それゆえ愛されるのだ。高度化して難解になり、理解が及ばなくなった科学を身近に感じさせてくれる▼ファーブルは同時代に沸き起こったダーウィンの進化論を受け入れなかった。多様な虫を観察する身には画一的な価値観に思え、昆虫記の中で批判した▼サソリ研究の冒頭の記述に姿勢が表れている。この虫は解剖なら知り尽くされているが、生き方については何も知られていない。それからはサソリを前に仮定、実験、観察の繰り返し。近道は選ばない。そんな愚直さが心を打つ。(板)