ちょうど20年前の夏。島根県を主会場に中国5県で開催された高校総体「中国04総体」で、相撲の取材を担当した。個人戦を制したのは埼玉栄3年の沢井豪太郎選手。後の大関・豪栄道(現武隈親方)だ▼目当ては団体戦で打倒埼玉栄を狙った鳥取城北勢。ただ取材を進めるうち、別の選手に目を奪われた。隠岐水産2年の竹谷和也選手。5人制の団体戦。他の4人が70~80キロ台と小柄な中、1人だけ180センチ、142キロの立派な体格で、チームを決勝トーナメントに導いた▼その目利きは間違っていなかったようで、八角親方(元横綱北勝海)がわざわざ隠岐にスカウトに訪れた。その際偶然目に留まったのが、2歳上で航海士を目指して専攻科で学んでいた後の隠岐の海(現君ケ浜親方)。竹谷選手も後を追うように、隠岐の富士のしこ名で土俵に立った▼先輩が土俵を去って1年余り。隠岐の富士の引退が発表された。力強い取り口で「小兵軍団」を引っ張っていた高校生もはや36歳。最高位は幕下11枚目で、目標の関取(十両以上)には一歩届かなかった▼三役も経験した先輩の引退相撲の取組相手も務め「隠岐の海という力士がいなければ角界入りはなかったし、今の自分はいない」と語っていた隠岐の富士。今後は日本相撲協会の世話人として本場所の運営などに携わる。隠岐出身の幕内力士輩出を目指す君ケ浜親方にとって頼もしい右腕になってほしい。(健)