著書「世阿弥」で初心について解説した随筆家の白洲正子さん(資料)
著書「世阿弥」で初心について解説した随筆家の白洲正子さん(資料)

 この時期どことなく心が浮き立つのは陽気と共に、始まりの人がいるからだろう。入学、入社、新年度と多くの人の初心が空中に舞っているようで、みずみずしい空気が当事者以外にも伝わる▼初心といえば、室町時代に能を大成した世阿弥の言葉「初心忘るべからず」が有名。世阿弥が40代から20年にわたる実践から得た芸の秘伝書『花鏡』に「三箇条の口伝あり」として記される。この三箇条は「是非初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」▼この解釈は専門家がさまざまにしているが、幼少時から能に親しんだ随筆家の白洲正子さん(1910~98年)は、著書『世阿弥』に「若年の頃の初心は未熟なものだけれども、それを忘れないように心がけることが大切である」などと記す▼未熟な時代の失敗や経験を忘れれば芸は身につかず、その後も時々の経験を骨身に刻んで残すことで厚みを増した芸になる。老境に入るのは当人にとって初めての経験であるから「初心」と名付けるべきだ。そのように常に初心を放れず生涯を貫くなら、芸が退歩するときはない、と▼続くまとめが芸に限らない、人生の真理でもあるだろう。「もっと簡単に言えば、もののはじめの溌剌(はつらつ)とした精神を、常時忘れず育めば、永遠の若さが保てるであろう、そう解釈してもさし支えないと思います」。始まりの4月に全ての初心を思い返す。(衣)