JR出雲市駅と岡山駅を結ぶ「特急やくも」。初めて登場したのは、国鉄山陽新幹線岡山開業で、岡山-出雲市駅・益田駅間の「気動車特急やくも」として陰陽を連絡したのが始まりだ。
長年、山陰の発展を支えた「やくも381系」が6月15日に引退するのを前に、「特急やくも」の歴史を当時の紙面記事で振り返る。
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国民の国鉄離れ、電化に期待! ただ予想を下回る結果…両県一部は冷ややか
観光、開発の夢を乗せ 伯備・山陰線電化開業
(1982年7月2日付)原文ママ ※知井宮駅=現・西出雲駅
山陰、山陽を結ぶ新しい懸け橋ー。五年四カ月の歳月と六百五十億円の巨費を投じた伯備・山陰線(倉敷-知井宮間、二百十一キロ)の電化が一日開業した。山陰にようやく訪れた“電車時代”に沿線各駅は終日歓迎ムードに包まれた。この日は出雲、米子、鳥取市などから初乗り団体もあり、上下線合わせ約四千人が“電車の旅”を楽しんだ。時間短縮に加え、停滞する経済、観光への波及効果への期待も大きいが、一方で国民の国鉄離れの中で、この電化開業がカンフル剤となるかもと注目される。
梅雨明けを思わせるような快晴に恵まれた開業初日、新しく381系特急電車(振り子電車)に衣替えした特急「やくも」は、出雲市発午前六時三十六分の上り2号がまずスタート。出雲市、岡山から次々、後続の電車が発車し最速度一一〇キロのしゅん足で出雲市-岡山間三時間二十分、米子-岡山間を二時間二十分で駆け陰陽連絡の足を大幅に短縮した。 ...