子どもの頃に使った言葉で言えば「こすい」印象が拭えない。この言葉、方言だと思っていたら「狡い」で辞書に載っていた。「ずるい」という意味で、言ってみれば、フェアプレーの対極になる▼開幕が迫る東京五輪は首都圏などほとんどの会場が「無観客」に変更されることになった。新型コロナウイルスの感染が再拡大し、懸念されていた緊急事態宣言下の大会になるためだ▼感染リスクが軽減されれば「安全安心」にはつながる。ただ本来は開催の是非が争点だったはずなのに、いつの間にか開催は既定路線になっていた。まさか旧ソ連流の戦術にはまったのではあるまい。交渉を引き延ばした末に土壇場で、もぐらたたきのように次々と問題を提起。相手に「もうこの辺で手を打つしかない」と諦めさせるやり方である▼そう言えば、観客数の上限や大会関係者の扱い、会場での酒類提供の可否など小出しの論議が続いた。しかも国会では「私自身は主催者ではない」としながら、先進7カ国首脳会議(G7サミット)の場で開催を「国際公約」同然にした▼確かに外交交渉では、したたかな戦術が求められる。今回も相手が国際オリンピック委員会(IOC)ならうなずける。しかし、国民相手の作戦だったとすれば…。政治家に子ども並みの純粋さを求めるのは無理だが、それでも「こす」が過ぎると、国民にそっぽを向かれる日が来る。(己)






 
  






