米大リーグ、マーリンズ戦の7回、50号2ランを放ったドジャース・大谷翔平選手。メジャー史上初の「50本塁打、50盗塁」に達成した=19日、マイアミ(共同)
米大リーグ、マーリンズ戦の7回、50号2ランを放ったドジャース・大谷翔平選手。メジャー史上初の「50本塁打、50盗塁」に達成した=19日、マイアミ(共同)

 日本のプロ野球で忘れられない名場面がいくつかある。当方が高校3年生だった2002年10月の巨人-ヤクルト戦はその一つ。当時、巨人の主砲だった松井秀喜さんが50号本塁打を放った一戦だ。

 松井さんは翌シーズンから米大リーグに挑戦。一ファンとしてテレビ観戦した東京ドームでの最終打席で、ヤクルトの豪腕・五十嵐亮太さんの速球を左中間に運んだ一発は今も目に焼き付いている。

 その松井さんをもってしても31本が最高だったメジャーで大谷翔平選手がきのう、前人未到の50本塁打、50盗塁の「50-50」を達成した。松井さんの記憶が鮮明によみがえったのは、大谷選手の50号が同じ左中間への一発だったこともある。

 シーズン残り2試合、ホームのファンに最終打席で50号を届けた松井さんに対し、大谷選手は残り10試合でいとも簡単に達成した。スイングの後、左中間への一発を確信したかのように見届けると、自軍のベンチに向かって叫び、珍しく感情をあらわに。記録よりチームの勝利を優先する発言が目立った中、試合後のインタビューで「早く決めたいなとは思っていた」と「50-50」への意識を明かした。

 マイアミの地で歓喜した姿は昨春のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)優勝の場面と重なる。きのうは自身初のプレーオフ進出も決定。ヤンキース時代の松井さんのようにワールドシリーズでも輝く姿が見たい。(吏)