第103回全国高校野球選手権鳥取大会への出場辞退から一転、米子松蔭高校の出場が19日、認められた。一連の騒動で浮き彫りになったのは、鳥取県高校野球連盟が大会のさなかの感染判明を想定しておらず、ルールの柔軟な運用ができなかったことだ。今回は、球児にチャンスを与えられる決着になったとはいえ、関係者は教訓を忘れてはならない。 (柴田広大)
県高野連の新型コロナウイルス感染防止対策要領は、学校関係者の感染判明時の大会不参加を定める一方、保健所の疫学調査や専門家との協議を踏まえ、参加してもいいという、ただし書きも設けている。ところが、今回は試合前日の深夜に感染判明という事態になり、ただし書きを適用する時間的な余裕がなかった。
19日の会見で県高野連の田辺洋範会長は「例えば大会1週間前といった、ある程度余裕のある期間を想定していた」と不備を認めた。
学校側もどこまでルールを重く受け止めていたか。米子松蔭高は辞退決定、出場嘆願と対応が揺れた。長崎成輝校長は「深夜のタイミングで当事者となった」と突然の対応を迫られ、規定の不備を見抜けなかったことを反省した。
試合を延期する柔軟な運用ができなかったのかも疑問が残る。県高野連には、コロナ感染を理由に試合を延期するルールがなかった。そもそも、感染防止対策要領は、県教育委員会のガイドラインに基づいて作成したものだという釈明も、当事者意識の乏しさを露呈した。
県教委体育保健課の担当者は、ガイドラインの不備はないとしつつも、今回の事態を受け、柔軟な運用をしてもらえるよう、事例を示す方針だ。ただ、県教委の指針頼みではなく、競技関係者が主体性を持たなければ、またも想定外の事態で混乱しかねない。
今回の件で、最も振り回されたのは、米子松蔭高はもとより、他の参加校を含めた球児たちだ。コロナ禍の今こそ、誰のための大会かという原点に立ち返ることが必要だ。