深夜に入った米子市内の飲食店で、注文後しばらくして近づいてくる電子音のメロディーに顔を上げると、配膳ロボットだった。
センサーを働かせプログラミングされたルートを通り、やって来た。ただ、棚からトレーごと料理を下ろすのは客側の仕事。もちろん会話はない。
かつて思い描いた未来のロボットの姿には遠く及ばない。つい比べ、不完全さ、ひいては「人間優位」を確かめたくなる。革新をもたらしつつ自ら学習もする生成人工知能(AI)が、いつか人知を超える、そんな恐れを抱いているからかもしれない。
手塚治虫さんの代表作『鉄腕アトム』の作中、ロボット少年アトムが生まれたのは「2003年」、同じ年に「ロボット法」もできたという設定だ。「生みの親」の脅威にもなり得るロボットの力。「人を傷つけたり殺したりできない」などと定める法やプログラム上、身勝手な命令にも背けず苦悩するロボットの姿は、40年前に小学生だった当方の胸も打った。
食事中、追加注文していないのに配膳ロボットがやって来た。隣席を片付けていた店員が頭を下げロボットを引いていく。「間違ったよ」と後方から笑い声。何かホッとした。手塚さんのロボット法には「ロボットは人間を幸せにするために生まれたもの」ともある。AIもまたしかり。「共存」の鍵は人間が握っている。非現実的とも思えた「未来」は今、目の前にある。(吉)