今年の12月は、31日を除く30日までが旧暦の11月。「霜月」である。戦国時代の中国・秦で嬴政(えいせい)(後の始皇帝)と権力争いを繰り広げた呂不韋(りょふい)が、一年を12カ月に分ける考え方を示した書物「呂氏春秋」によると、冬の中ごろ、寒さが一層厳しくなり霜が降りる時期を示す「仲冬(ちゅうとう)」に当たる。
しかし、昨今の高温続きで実感はない。異常気象と季節を元にした日本語とのずれは今に始まったことではないが、いっそのこと「猛暑月」「雪無月」といった今の気象に合わせた12カ月の新しい呼び名が必要ではないかとも思ってしまう。
長く病床にあった明治の俳人・正岡子規が詠んだ<霜月の梨を田町に求めけり>も、梨の多数の品種で冬の寒さを耐え、春にきちんと発芽し、夏から秋ごろに収穫する循環が根っこにあるから、あえて「霜月」に果物を求める心情が伝わる。
温暖化に伴う異常気象は、行動や服装といった日々の暮らしぶりだけでなく、暮らす上での感情を変える。四季に裏付けられた日本人のアイデンティティーが感覚として分からなくなる、あるいは外国の人たちに「これが日本の特長です」と伝えられなくなるのは、怖さを感じる。
「日本国語大辞典」によると、呂氏春秋は四季の移り変わりと、万物の変化や人事の治乱・興亡・吉凶との関係を説いた書とされる。気象の変化が、思想や哲学といった物の考え方を根本から変える気がする。(万)