日本の人口約1億2千万人のうち、「知人」と言える人は一体どれほどいるのだろうか。各種の研究によれば、人間が顔と名前を認識し、安定した関係を結べるのは、およそ150人といわれているらしい。
それでも、私たちはその80万倍もの見ず知らずの人を「同じ国の人」と認識し、好き嫌いは別にして同属意識を持っている。そうした感情を持てるのは、ベネディクト・アンダーソンが著した文化人類学の古典『想像の共同体』によると、メディアを通じた共通言語による出来事の共有体験が大きいという。
そんな体験の一つが国民体育大会(国体)、現在の国民スポーツ大会(国スポ)だろう。一時的に47都道府県の代表が同じ地域に集まり、共通ルールで得点を競い合う。直接参加や競技の観覧、あるいは報道を通じ、私たちが一県民、そして日本人であることを意識せずにはいられない。
国スポを巡る今後の改革で一度に大々的に集うのではなく、競技によって時期を分散する「通年開催」が検討されるという。文字通り「国体(国の成り立ち、体裁)」を確認する装置としてではなく、トップ選手の最高のパフォーマンスを純粋に楽しむイベントとしての脱皮が求められているのか。
競技場の整備や関係者の受け入れなどの準備を担う開催地、あるいは競技者の立場から見た是非の意見はさておき、日本人とスポーツの関係を考える上で興味深い。(万)